写真はカメラオタクの彼がロタ(Rota)の海辺で遊びがてら撮影してくれた1枚です。白黒写真はなぜか味がありますよね。😊❤️✨



11月下旬にも関わらず、まだビーチで泳げる人達が存在するアンダルシア地方。もちろん、地球の温暖化による気温上昇も原因ですよね。

見てのとおり、夏気温が長いですから家は全て夏仕様に造られています。

昔の人達の知恵で、建物の間も非常に近い道になっています。昔はクーラはなかったので、日陰を増やすためにそうしたようです。


↑は私のお気に入りのオリーブオイルと塩をかけただけのシンプルなサラダです。🌞🍋🍀

さて4年間の振り返り?
内容が濃すぎて書ききれませんが、箇条書きで嬉しかった事、苦労した事、学んだ事、反省した事を書いてみたいと思います。

嬉しかった事
3年間半ほどの日本でのフラメンコ(踊り)経験値だけで留学した私。「フラメンコとは何なのか?」さえ疑問だらけでした。技術も経験値もなくひたすらスペイン到着後の前半は、約半年間のロックダウンを経験しました。それから約3年間スペインで勉強した結果。あのマノロ・マリン先生がちょうどグループクラス見学を突然されに来た時の出来事。初見でこちらへトコトコやって来て直接言われました。「君は踊りが凄く上手だね。どこから来たの?」と声をかけてくださった事。先生達の先生である歴代のマエストロのコメント。何かしら数年間で成長した結果が出たことを実感した。

・フラメンコを日本で始めた8年前はカンテやギターはまるで別世界だったが、バイレ(踊り)より学ぶスピードは遅いが1~2曲でもシンプルだか弾ける/歌えるようになった。

・普通のパロ(曲種)以上にブレリアの即興なんか未知の世界だったが、当たって砕けろ精神で老舗ペーニャトーレ・マカレーナにて数回即興で挑戦させていただいた。

・生徒の自主企画ライブではあるが、セビージャの中心地で2回ほどソロで踊らせていただく機会があった。

・亡きギターの先生、ダニーベレス先生との出会いにより、フラメンコ業界の真実の黒い部分がわかり、自分自身の勉強の仕方がガラッと変わった。良くも悪くも厳しい教えが、今の私の中に生きている。

・友人のカンタオーラさんに背中を押されて参加してみたヘレスの舞踊コンクールで全く期待していなかったシニアノンプロ部門で1位をいただいて、初めてフェスティバルデヘレスで1人で踊った。(緊張しすぎて何をしたのか覚えておらず、後でビデオで知りました。(笑) ※しかしながら、まだまだ技術はありません。

・そしてスペイン人パートナーに運良く出会い、フラメンコを含めたくさん応援して貰える環境にいること。彼はフラメンコが好きではないないのですが(笑)、それはそれで、ある意味おもしろいから問題ないです。😂😂😂 日本人の私がセビジャーナス(伝統的な踊り)をセビージャ人の彼に教えるハメに。(笑)なんでやねん😂

苦労した事
・やはり言葉(スペイン語)は日々苦労しますね。アメリカの大学に中途半端な英語力で入学した時もしんどかったので、苦労するレベルは想像していましたが😅。やはり、言語は年数×経験値の蓄積の結果だと個人的に思います。※知能レベルの問題では全くありません。

国が変われば時間的な感覚や社会のルールも違います。「まっいいか!」と言う心境になるまで少し時間がかかります。

学んだ事。
・パンデミック(コロナ禍)のスペインで経験した、人々がもとから持つ差別意識が明確に感じるロックダウンでした。観光客としてアジア人へは優しい場面と、自分に害があると「病原菌」として扱われる態度の違い。人には(自分自身も含め)正負が必ず存在することを学びました。

・取り敢えず挑戦してみてから、考えること。他の国に住んでいるから特に自分の経験値を超える視野が必要だと感じています。

・自分の経験値や日本の価値基準で物事を全て判断してはいけない事。

反省した事。
・基本的に自分に厳しいが、他人にも厳しくなりがちだという現状。その人の人生で何が起こっているのか分からないから、人には優しくあるべきであると認識しています。

・人を助け過ぎて最終的に(利用され)悪い結果になる。ラインを明確に設けて、自分の中での優先順位を確りつけたい。最初から関わらない選択肢もある。