「少女像」が見つめるもの ナショナリズムに流されない視点を | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 日本政府が駐韓大使と釜山総領事を韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦問題を象徴する「少女像」が設置されたことに対する「対抗措置」として帰国させました(1/9)。日韓通貨スワップ協議やハイレベル経済協議なども中断・延期とのこと。

 

 2015年12月28日の日韓合意でソウルの日本大使館前の少女像につき「適切に解決させるよう努力する」と合意し、その合意に基づき、日本側は10億円を拠出したのに「まるで『振り込め詐欺』だ」(首相側近 朝日1/1)との批判の声があげられているとのこと。

 

 

 さて「私たち」は、どう考えるべきなんでしょう?私としては、やはり、この問題もナショナリズムに流されずに、日本政府、韓国政府の思惑と、私たち日本国民・韓国国民の思いを別途、峻別して考えるべきだと思います。

 

 と考えると、そもそも日韓合意は、日本政府と韓国政府の合意であり、私たちの合意ではない、ということです。安倍政権、朴政権の思惑で行われたことで、私たち国民は納得していません。たぶん両国民とも。

 

 今回の安倍政権の「死に体」の韓国政府への「対抗措置」も、もちろん安倍政権の「思惑」でしょう。

 

 韓国が韓国民の政府に対する凄まじい不満がゼネスト状況に及び政権が吹っ飛びそうなことを見て、そのような民衆の革命的な動きが飛び火しないように、まずは、韓国政府にそれを押さえつけろ、その為に「少女像」も国民に対する弾圧として撤去させよ、とある意味、「遺憾」という形式をもって韓国政府の「しり押し」をしているのではないでしょうか。

 

 つまりは、緊張感をはらみつつ、弱体化している韓国「政府」をかつての宗主国的態度をもって、国内の革命的な火種を圧殺せよ、と「恫喝」的支援をしようとしているのだと思います。

 

 韓国民の韓国政府及び日本政府に対する不満を制圧し、それを日米韓の北朝鮮制圧(侵略)へのナショナリズムへ動員しようぜ、ということです。

 

 うがった見方でしょうか?しかし、日本政府と韓国政府は、日米韓で対中をにらみつつ北朝鮮侵略戦争に備えていることは、一般紙を見ていても明らかだと思います。稲田防衛相は、グアムの THARDを視察(1/13)していますが、これは対北朝鮮戦争準備です。

 

 政府=資本としては、自国内で民衆側に政権をひっくりかえされる危機を戦争で一気に回避したいという思惑で動くことは歴史の事実。

 

 少女像が象徴するのは、戦争における悲惨さ、むごたらしさです。戦争は国家間で行われる以上、動員される国民にナショナリズムに根ざした感情が埋め込まれることは避けがたいことでしょう。

 しかし、徒らに、その感情が新しい排外的ナショナリズムに回収され、新たな戦争動員のために利用されるのだとしたら、用心しなければなりません。

 

 私たち、つまり国民ないし民衆は、韓国や北朝鮮の国民らへ国際連帯の手を伸ばす時です。マスコミや両国の野党まで、ナショナリズムに飲み込まれつつあります。

 

 時代の風に流されず、自分の位置、相手の位置を冷静に見て、国際連帯を貫きましょう。私は、韓国民のゼネストを全面支持し、日韓政府の戦争政策に反対です。