今、動労総連合を原告、JR東日本を被告とする裁判の原告代理人を担当していて、この間、東京地裁大法廷で丸一日(9時50分から17時)の尋問期日が3日行われようとしています(最後は1/13(金)の予定)。
ここで、原告が争っている主たる争点は、JRが鉄道の検査・修繕等の業務を他社に外注し、さらに、そこにJRの従業員を出向させることは違法であり無効である、というものです。
え〜?外注=アウトソーシングなんて、当たり前じゃないの?なんで、それがダメなの?そんなことで裁判できるの?みたいな反応が普通かもしれません。
今や、世界中、外注化=アウトソーシングは当たり前。民営化くらい当たり前になってきています。業務の効率化・合理化のために、外に仕事を発注する、ということは当然であり、別段おかしいことではない、というのが「常識」でしょう。
しかし、そもそも、何故、かつての公共的な仕事、電気、郵便、水道、鉄道などは、どんどん「民営化」され、そして、さらに「外注化」されていくのでしょう? 誰が、どんな得をするのか。
大資本には、顕著なメリットがあります。まずはコスト削減。自らが雇用する労働者を削減し、よそで安く雇用する労働者を安い委託料で使うことができます。
さらに、それに付随しますが雇用の直接責任から解放されえ、ややこしい労働法上の雇用主としての責任から逃れることができます。
さらにさらに、雇用を分断する過程で、いやな労働組合を弱体化に追いやったりできます。このことは、アチラの雑誌『選択』の2015年9月号「事故だらけの『JR』 消え失せた鉄道の『安全・安心』」においても「JR各社は、労組潰しののために保線などの業務を一部外注化した経緯がある」とスルッと書いちゃっています。『選択』であって『前進』ではないですよ、念のため♪
そもそも、鉄道運輸というのは、全体で一体的に担われる事業であって、その一部だけ切り離すことはできません。構内・車両検査修繕業務は旅客・貨物鉄道事業に関わる業務の不可欠な一部です。これを無理やり外注化するので、現場では、結局は、JRの指示・命令がなされてしまうのです(それが「偽装請負」という状態です)。
ともかく、民営化・外注化は、資本は得しても、庶民は雇用も不安定化、生活の安全も失われるなど、いいことなし。こんな世界のあり方(デザイン?OS?)っておかしいでしょう?
今、私が担当しているこの事件は、個別には鉄道労働者が依頼主であり、強制的な出向で奪われる労働条件と誇りを取りもそうという裁判です。
しかし、同時に、この新自由主義下の「世界のあり方」自体を問う裁判でもあります。
当たり前っぽいことを根本的に問う。これって結構大事なことだと思いますよ。世界を変えるきっかけになりかもしれません。暗いトンネルの向こうに明日がある・・・かも。そう思って頑張ります!