偏向した新聞記事  時代が暴き出す「反革命」の本質 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 本日(3/2)の朝日新聞の記事「活動家らの拠点 100人生活」というタイトルで、いわゆる中核派の前進社へのガサ入れについて大きく報じられています。京都大学で昨年、行われた学生の反戦バリケードストライキでの全国10数箇所のガサや逮捕が今になって行われているからですが、ちょっと驚くような偏りぶりが見られます。

 記事によると
 「組織内の厳しい統制は今も変わらない。昨年5月には、前進社のビル内に監禁されたとされる20代の男性が逃げようとして屋上から転落、一時意識不明になる騒動があった。
 捜査関係者によると、転落した男性は組織の情報を外部に漏らしたとして、建物の一室で「自己批判」を求められて、身の危険を感じて逃げようとして転落したという。」
 
というものですが、この件は、警察が逮捕しながら、結局は、起訴できずに学生らを全員釈放した事件です。つまり、この記事で書かれているような事実を裁判で認めさせることは公安刑事を始め検察はできなかったというのが真実ということになります。

 私は、この事件の弁護人として勾留理由開示公判を担当したので真実を知っています。ここの記事を書いた小林太一記者は、警察側から取材だけしたのでしょうか。しかし、

 「前進社側は『警察による事件のでっち上げだ』と主張しているが、警視庁は今後も同様のことが起きる可能性があるとみて監視を続ける。捜査幹部は『中核派の本質は、今も変わらず凶暴性と反社会性。いつまたゲリラ事件や内ゲバが起こるか分からない』と話す。」

と記事をまとめているので、両方の話を聞いた上で、警察側の立場に立ったモノの見方で記事を書いているのだと思います。しかし、不起訴のことは知っていて、書かないのだとしたら、いささか不誠実ではないでしょうか。

 今のような、きな臭い時代が迫ってくると、リベラル気分の本質が見えてきます。グ~っと体制内に擦り寄り、「過激派」「異端」「非国民」と対峙する、いわゆる「反革命」の馬脚を現すというか。

 新聞記事というのは記者の主観により書かれているのは仕方ありません。ただ、実務法律家は、事実の認定をもっと厳しく行います。中立公正なんて幻想ですが、少なくとも警察権力がリークする情報に疑いを持ち、公安警察の「起訴もできないような逮捕」や「何も答えない勾留開示の裁判官」を批判的に検討する目を持ってほしいモノです。

 それが、ジャーナリズムによる国家権力の「可視化」じゃないの?もう無理?