日本のブルースバンドの草分け、憂歌団。私も何度か日比谷野音でもそのパーフォーマンスを見ました。その憂歌団の「問題」のヒット曲「お掃除オバちゃん」の歌詞はこんな感じ。
わたしゃビルの おそうじオバチャン
わたしゃビルの おそうじオバチャン
モップ使って仕事する
朝・昼・晩と便所をみがく
朝・昼・晩と便所をみがく
ウチの便所はもうイヤヨ
1日働いて、2.000円!
今日も働いて、2.000円!
明日も働いて、2.000円!
クソにまみれて、2.000円!
わたしゃビルのおそうじオバチャン
1日働いて2000円!というのがインパクトありますが、大阪の1978(昭和53)年度で最低賃金2636円(日額)だから、憂歌団がお掃除オバちゃんを歌い出した1975年頃の日給としても最低賃金ギリギリくらいだったのでしょうか。この歌は、「職業差別」ということで放送禁止にされたわけですけど、むしろ、労働者の本音という意味はまさに被差別者から生まれたブルースの心、本音を体現している歌だと思いますけどね。
ところで、私の尊敬する先輩の女性は、最近、『婦人民主クラブ(2016/2/15)』に、このようなことを書いています。
「男女合わせて100の便器に洗面所・更衣室・自習室・洗濯室・シャワー室など全部で24室。私の職場では、これを二人で、朝7時から10時半まで休憩なしの3時間半でやらなれければなりません。身体はヘトヘト、賃金は神奈川県の最低賃金に限りなく近い905円です。」「65歳を過ぎると掃除の他にはなかなか仕事はありません。最高齢は76歳の男性です。ああそうか、安倍のいう『一億総活躍社会』とはこういうことかと妙に納得します。」
40年経っても、やっぱり最低賃金。そんな仕事を、「掃除のおばさんたち、限られた時間の中で工夫しながら一生懸命掃除しています。」と誇りをもってやってくれているのです。公衆トイレなど、誰かが掃除しなければならないですもんね。誰かがやらなければならないことを誰かがやるから社会が機能するわけで、その意味でも世の中、労働者がいなければ動かないということだと思います。
先輩は、先日の高速バスの事故についても「月に一度母親の介護のために夜行高速バスを利用する(利用せざるをえない)私にとっても労働者・若者どちらの立場も他人ごとではありません。」と書かれています。労働者や若者、という99%の私たちが社会の主人公だし、納得できないなら「やってらんないぜい!」って憂さを晴らす・・・それが、ブルースなのであって、それは国境も時代も関わりなく、日本の21世紀でも私たちの心をつかみます。う~ん、だからこそ、放送禁止にしようとするのだろうなあ。
非正規おじさん(仮題)とか、外注化ブルース(仮題)とか、新曲も作って、歌って、集まって、気勢をあげて、世の中変えましょう!