戦争→内乱→革命へ  『図書館戦争』の導くもの | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 『図書館戦争』という有川浩さんの本は、出た時にハードカバーで読みました(2006年)。本や図書館が好きだったし、それと戦争?とどう関係あるのだろう?と興味を持ったからです。

 その後映画化もされ、作品は、さらに『図書館内乱』から『図書館危機』を経て『図書館革命』に至るようです(読んでません)。

 「内乱を革命へ」というと、歴史的には、まさに1917年4月以降のロシア革命期のレーニンを思い出しましますが、この『図書館戦争』シリーズはいまも人気のようで、映画では戦闘シーンも満載です。

 国家権力から、図書館が独自の武装(地方権力?)により表現の自由を守る、というモチーフで、つまり、権力側からみればゲリラ、ないしテロリストの組織が自分たちの利益=自分たちの情報流通としての民間表現の自由を守るという、「非暴力」の思想からは遠く離れたパリコミューン型の図書館コミューンの設定ということのようで面白いと思います。

 このような作品が、人気を得ている、ということは面白いなあ、と思います。  
 私の理解では、いくら権力(←本物の)が、私たちを武装解除、つまり、民間から暴力・武装をとりあげて国家が暴力を一方的に独占しようとしても、私たち大衆の思想の中には、それを許さないオープンな国家権力による暴力独占を許さない作品=発想が大衆の中で歓迎され、共有されているのだな、と思います。

 まあ、こういう発想は、権力やマスメディアには「暴力主義」ってレッテル貼られるのが普通なんでしょうけど。

 それでも、勇ましく、かっこいい役者が戦う作品がみんな大好き、それも国家権力と対峙して、というテロリスト側を主人公にした作品がメジャーな存在であるというのは、大衆文化の底力、ということなのかもしれません♪

 他国の人々と、資本や権力の利害で戦わされるナショナルな戦争は反対だしだからこそ、国家権力とは戦わないといけない、という示唆がしめされている・・・のかも。