「世界遺産」の意義 帝国主義の記念碑として | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 ユネスコの世界遺産委員会は、福岡県の八幡製鐵所や長崎県の三菱長崎造船所など、8つの県の23の資産で構成する「明治日本の産業革命遺産」を世界遺産に登録することを決めたとのことです。「西洋で起きた産業化が非西洋国家の日本に伝わり、初めて成功した例として歴史的な価値が認められ」たのだそうです(NHK)。

 報道によると韓国側は、産業革命遺産を構成する官営八幡製鉄所(北九州市)など7施設で、戦時中の昭和19~20年の間に朝鮮半島出身者に対する「強制徴用が行われた」と主張し、日本政府代表側は「自らの意思に反して連れてこられ、厳しい条件で労働を強いられた」と表現した、とのことです(YAHOONEWS)。

 産業革命と植民地政策は切り離せないものですし、日本が朝鮮半島を植民地化した(1910年)ことも争いのない史実でしょう。

 その中で、「募集」「官斡旋」「徴用」という段階があったかもしれませんが、いずれにせよ植民地政策下の「自らの意思に反して連れてこられ、厳しい条件で労働を強いられた」人々がいたことは明らかで、それを「強制」と呼ばないことにどれだけの意味があるのかわかりません。


 私はかつて、金景錫さんという方が当初、本人訴訟で日本鋼管を被告として提訴した訴訟の原告側代理人に梓沢和幸弁護士ら先輩とともに加わりました。
 一審(1997年5月26日東京地裁)では、「原告は、その当時、朝鮮総督府の国民学校に通い、日本語の本を読み、忠臣蔵や大久保彦左衛門の話に興味を抱き、必ずしも反日的ではな」かったこと、「原告と行動を共にした他の朝鮮人労働者一〇〇名弱も抵抗の気配もなく京城を発ち、釜山から下関へと渡海したことが認められる」などから「強制によるとまではいえない」という屈辱的な認定をしました。
 その後、高裁で1999年4月6日「控訴人の主張を重く受け止め、控訴人が障害をもちながら永きにわたり苦労したことに対し真摯な気持ちを表する」として金410万円を日本鋼管が金さんに支払う、という和解が成立しました(法廷で鬼頭季彦裁判長が和解文を読み上げ傍聴席からは拍手もありました)。

 この和解自体の評価は難しいですが、金さんの憶いと諦めない闘いが、90年代に、この「強制連行」問題を注目させ、一つの扉を開くことになったのは確かだと思います。
 
 世界遺産というのはユネスコの基準によりますと「歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。」というものも挙げられています。

 その意味では、今回の「登録」騒ぎは、確かに「植民地政策の帝国主義段階という歴史上の重要な段階を物語る」負の遺産としては、意味があったののかもしれませんね。

 それにしても「強制」って・・・。「意思に反す」れば、強制ではないのでしょうか?