『ソフィーの選択』の時代 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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「週明けの投票で決めよう。16人の同僚のうち、過半数がボーナス1000ユーロ=約13万円」を諦めれば復職を認める」というのが、サンドラの復職希望に対する社長の回答。これが映画『サンドラの週末』の始まりであり、同僚たちに突きつけられた「選択」です。

 残酷な選択ですね。自分の利益か、仲間のためか。それぞれ、皆、生活が厳しい。人生には、そのような選択が突きつけられる瞬間は確かにあります。そのような選択を仲間に突きつける「原因」となったサンドラ自身も最後に一つの「選択」を突きつけられます。

 時に、選び難い、厳しい選択に突きつけられる時はあるとは思いますが、戦争の時代、国家動員の時代には、狂気のような「選択」に迫られることはあるでしょう。

 大岡昇平の『野火』や高橋和巳の『堕落』など、戦時の生きるか死ぬかの時代の、生きるか死ぬかの瞬間の「選択」が描かれていて、私は、かつて「こんな選択が迫られる状況には絶対なりたくないなあ」と強く思いました。

 その中でも、とりわけ、今、思い出すのが一つの映画の一場面です。
『ソフィー選択』(1982年)という映画です。ここでの「選択」こそが、戦争の狂気の時代、人が人に迫る恐ろしい、残酷な「選択」の典型だろうと思いました。

 それは、アウシュビッツに移送される母親に、ナチスの軍医が二人の子どもを共に死なせるか、一人を助けるか選ばせる「特権」を与え、その選択を迫るという場面でした。当時、私は「親」ではありませんでしたが、この「選択」を迫るという非人間的な残酷さ、そして、そのような「選択」を呼び起こし、考え付くに至った人類の歴史の恐ろしさを感じました。

 自分の幼い娘と息子、二人を死なせるか、一人を救うか。それを母親に「選択」させるという狂気。

 今また、不穏な空気が迫っています。このような「選択」が突きつけられる時代にするわけにはいきません。未来を「選択」するのは、今の私たちです。きちんと考え、選択し、未来を切り開きましょう。