新聞の投書欄には「例えば中国による尖閣諸島周辺の領海侵犯であり、南シナ海の岩礁埋め立てだ。黙っていれば相手のなすがままだ。話し合いで解決すべきだと言う人もいるが、こちらが丸腰で話し合って何が得られようか。」(6/21)なんて「意見」が掲載されます。
どう思われるでしょうか。「もっともだ」と思う人も多いのでは?そうは思わなくても、ここがおかしい、と切り返すことは可能でしょうか。
相手=中国、こちら=日本、という設定が、既に「ナショナリズムの落とし穴」だと思いますが、それはさておき、現実に、中国政府が南シナ海で埋め立てを行っているのは事実のようですし、釣魚台=尖閣諸島において日中間において領土・領海問題を浮上させようという意思があることも確かだと思います。
なので、設定としては、「中国(軍)と日本(軍)が領土である(のかもしれない)尖閣諸島をめぐって軍事衝突が起こるかもしれない」というのはリアルな設定かもしれません。理由はそれぞれの国の国内での不満のガス抜きや、米中日の大資本の権益に対する思惑などがあるでしょうし、きっかけは、満州事変のようにでっち上げられるかもしれません。
ただ、それを「中国が私たちを攻めてきたら」という想定として私たちが認識するかは一つの大きな問題です。事態としては、日本政府と中国政府が、小さな島の領海権問題に争いがあると「設定」し、領土問題というナショナリズムを煽り、「頑張れニッポン」とか「大中国」とかそれぞれの国民の意識をまとめあげ、あたかも島を巡る軍事衝突が、私たち(日本及び中国の)国民の「モノ」が「奪われる」と思い込ませ、かつ、それを「守る」ためには「軍事的に対処」しなければならず、かつ、そのためには「軍隊」の存在を許容し、兵隊として自分や子どもたちが殺しあうのはしかたない、むしろ、喜ばしいことなのだ、と認識するか、ということです。
「貴様、それでも日本人(中国人)か?!」みたいな古いフレーズがそれぞれの国で蘇らないか不安です。それぞれの政府は煽りに必死ですから。
もちろん、私たち国民や子どもたちが島をめぐって殺しあう道理はありません。戦争は経済だけが動機ですから、権益・利権をめぐって大資本にとっては争うことに利益=儲けが見えるのでしょう。それぞれの政府はその思惑に従って、動いているのであり、私たち国民は、資本・政府にとっては、その「道具」であり「兵隊」です。ここはクールに見切りましょう。
先に引用した投書の後半部分「黙っていれば相手のなすがままだ。話し合いで解決すべきだと言う人もいるが、こちらが丸腰で話し合って何が得られようか。」というキブンは、デタラメな言葉で私たちを説得するつもりもなく戦争法案を押し通そうとしている安倍内閣を「相手」、私たち国民を「こちら」と読み替えれば、よくわかるよな~とは思います。日本国民にとっては、中国人よりも、闘うべき相手はもっと身近にいる政府だと思いますし、中国においても同じだと思います。共に頑張りましょう!