18歳に期待する前に♪  | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 「国会では私たちの代表者である国会議員たちが主権者である国民、つまり私たちの為になるように真剣に議論してくれているなあ。」・・・なんて、どれくらいの国民が思っているのでしょうか?

 どう考えても、私たち99%側の利益に反し、1%の大企業、金融の利益になること(戦争、原発、労働法改悪)しかやろうとしてないんじゃないの?と多くの人が思っているのではないでしょうか。

 「いや、大企業が儲かることが、俺の利益にもつながるんだよ。ああ、今は現実にはつながっていないだけで・・・う~ん、いつかは・・・たぶん。」みたいなこと、まだ、思っている人は、もうあまりいないと思います。だって、イザナミ景気と呼ばれた2002年~2008年の「大資本にとっての」歴史的好景気の時代、「労働者の」平均給与は下げ続けられいたわけで、「トリクルダウン」なんておこぼれ頂戴の発想は「ぶら下げられたアメ」ということでしょう。

 私たちが選んだことになっている代表者が私たち利益を代表して議論しているという「建前」が議会制民主主義である、というのが政府のお墨付きの定義です。しかし、マルクスは、「普通選挙権は、支配階級のどの成員が議会で人民を代表し、ふみにじるべきかを三年または六年に一度決める」制度だと指摘しています。最近の政府や国会でのやりとりを見ているとまさに、私たちを欺くためだけの「おしゃべり小屋」という印象を多くの人が持って当たり前なのではないか、と思います。

 私は、今回、選挙権を18歳以上に拡大したのは、私たちの選挙に対する無力感、無関心を前提に「ほら、選挙権は与えたでしょ?使わないのはアナタ方の勝手だけど」というポーズにすぎないのかな、と思っています。

 支配層=政府側からすれば、「選挙権を与えたことにして実際はこない有権者」ほど都合のいい人材(つまり支配の対象)はないでしょう。

 議会制民主主義は、「選挙により私たち代表が選ばれている」という形式的なレトリックにより、実態としては「ごく少数の動員された実際の投票により選ばれたことにしてしまう」支配層にとって使い勝手のいい仕組み、になっているのだと思います。まあ、選挙なんて数年に一度やるだけで済むしね。

 ということで、形式的な選挙権の拡大ではなく、実質的・実態的な意思の実現こそ重要ということです。つまり、18歳からの新有権者240万人に期待する前に、オトナの私たちがやる気になんないと!っていうこと。

 だからって、別に、投票に行こう、ってことではありません。私は、昨今の投票率のダダ下がりは、議会制民主主義に突きつけた健全な三行半(みくだりはん)だと思っています。そりゃ、だって、この国会の様子じゃ自分たちの代表なんて思わなくて当然!

 あらゆる方法で、自分たちの意思を実現すればいいのであって、それが投票で可能なときはそうすればいいし、より直接的な民主的行動でもいい。ともかく、大事なのは自分たちで自分たちのことを決めるという気概、これを大人が18歳と共に考え、行動していく、ということですね。まず、18歳に期待する前に、自分自身に期待しましょうね。