誰かと話してて、「いや俺は、お前と違ってサラリーマンだからさ」とか「普通の主婦だからわからない」とか「立場があるからさ、弁護士はいいじゃない?」とか、まあ、自分の仕事?役割?ポジション?いずれにせよ、なんらかの自己規定をして、ともかく、結論としては「だから出来ない、しない」という理由にされることが多いです。
本来、仕事とか役割とかポジションって、「だから、これが出来る」っていう理由になると思うんだけど・・・。
例えば、弁護士は、接見禁止でも被疑者と面会が出来たり、刑事弁護人になることが出来たり、訴訟の代理人になったり出来ます。それにずっとやっていると精通し、専門化していきます。それと同じように、ある企業のサラリーマンであることや、また、主婦であることによる専門化や、もしくは自由の獲得などありそうな気がするのですけどね・・・。
ところで、三権分立とか、司法の独立とか憲法的な「建前」があります。検定済教科書で習う奴です。今、高村自民党副総裁の引用で注目を集めている「最高裁砂川判決」とは、これらの「建前」を蹴散らかして、「まあ、俺、ただの最高裁だからさあ」と自ら成り下がった「最高裁の言い訳判決」なのです。こう言ってます。
「ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。」
つまり、「ほら、俺って純(司法的な使命)じゃん? だからさあ、政治とか苦手なんだよねえ。ま、そういうのはさ、内閣(政府)とかさ、君たち(国民)に任すからさ、勝手にやってよ。俺、パス」という判決です。
これほど、政府に都合のいい「司法の役割」ってないですよね?つまり、大事で、やばい問題ほど最高裁は判断しない、ということですからね。これ、「統治行為論」とかいう呼び名ですけど、こんなこと言うなら、別に「枕」で、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく」とか、ごちゃごちゃ言っても意味ないのにね?、と思います。
まあ、この時の最高裁長官田中耕太郎っていう人が、アメリカの駐留大使と会っててプレッシャーをかけられていた、というドッチラケの話まで2010年に暴露されて、まあ、三権分立とか司法の独立とか、本当に「建前」にすぎないのね、と私たちが「三権分立のオトナの事情」を知るきっかけになったのが砂川判決であり、だから、自民党はこの判決が大好きなのだと思います。
・・・ということで、最高裁は、本当に大事な判断はしません、こっちに投げます。見た目も要塞みたいですけど、「人権の砦」ではなく「国家権力の砦」なのです。
なので、どうするかは私たち次第です。憲法だとか、政府だとか、最高裁だとか、そういう「建前」や「権威」に頼らず、自分たちで考えて、戦争に行くのがいやなら、やめましょう♪