政府の法曹養成制度改革顧問会議は、5月21日、司法試験合格者数を「1500人程度」にすべきとする「取りまとめ案」を公表しました。弁護士(のみ)激増による窮乏化のため法曹志望者が一貫して減少し続け、今年4月の法科大学院入学者数はわずか2201人!「このまま何らの措置も講じなければ、司法試験合格者数が1500人程度の規模を下回ることになりかねない」事態に追い込まれた結果です。司法審が2001年に打ち出した「2010年までに3000人」への激増路線は完全に破綻しました、パチパチッ。
・・・とまあ、単純には喜べない厳しい状況にはあるのですが、私たちが弁護士会の中で、当初から、つまり、2000年頃から問題視し、反対してきた「司法改革」の狙いの実現と破綻ぶりは、やっぱりきちんと総括しておかないと、と思います。
2001年11月1日の、あの大混乱を強硬に打ち切った日弁連臨時総会の決議では「市民が参加し市民に身近で役立つ『市民の司法』を実現するために、法曹一元制及び陪審制の実現と、市民が必要とするだけの数の弁護士が、気軽に利用できる『社会生活上の医師』として、社会の隅々にまで存在するべきことを宣言した」とあります。
2015年、「法曹一元」なんて全く実現していないし、「陪審制」は全く異なる多数決の裁判員制度に歪められ、裁判官・検察官はほとんど増えずに弁護士だけ激増し貧窮化。さらに、その後、カネのかかる「ロースクール制度」もすでに3分の1は消えてしまっています。
あの頃、お気楽にバラ色の未来を語って、日弁連執行部に賛成して粛々と挙手していた「奴ら」は、そして、政府のリークに踊らされ「司法改革」=弁護士激増をもてはやしたマスコミの連中は、どう自己批判するんだろう、と思います。責任があるはずです。歴代の会長、執行部、賛成の発言、黙って手をあげる追従者、いろんな弁護士の顔が思い浮かびます。
何度も言ってきたことですが、弁護士を激増させ、貧窮化させ、さらには弁護士自治を危うくさせることこそが「司法改革」の狙いであると同時に、司法全体の破綻をもたらしている、ということです。まさに、新自由主義の現在の状況そのもの。
ホント、頭来るんだよなあ!自分の言ったこと、賛成したこと、許容したこと、黙認したこと、その判断と行動に責任があるじゃないか。自分たちのことだったのに。何とか言えよ!って思います。
その「司法改革」後、生まれた多くの若い弁護士には責任はありません。彼らは「歴史」を知り、自分たちの「位置」を自覚して、頑張って欲しいとは思うけど、もちろん、一緒に。
ともかく、責任者出てこ~い!どうするんだ?!ということは、はっきり追及しておかないと戦争責任みたいにうやむやになって、また、繰り返すだけでしょう。自分たちの未来は、自分たちで決めたいのです。
* 写真は、「司法改革」反対で高山俊吉弁護士を推して闘った日弁連会長選挙(2008年2月)の広報のハガキ。私が、デザインしたもの。2008年は、まだ、溢れる前だったんだなあ・・・。