責任 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 現代人が最も嫌うもの、避けたいもの、少なくとも範囲を限定したいもの、それは、「責任」だと思います。人によっては、それを避けることをこそ、人生の目標にしてるんじゃないの?って思うほど。

 もちろん、「責任」というのは、セイにされる、重圧、引責、処罰、その他マイナスイメージ満載で誰も近づきたくないのは当然です。

 簡単にいうと、法的責任だろうと道義的責任だろうと、ある事に対して出来る状態・選択出来る状況にあったこと、つまり自由に選べる状態にあった場合に「責任」がある、ということに生じるものであり、「その状況下で、アナタは出来なくて当然、選択のしようがなかった」。そんな場合には「責任」は生じませんので、まずはご安心を。

 ただ、そういう意味では、どんなに言い訳しようと、ある場合にはあるわけで、ともかく客観的に自由に選択出来たのであれば、どんなに主観的にそれを避けても責任はあった、ある、ということになるでしょう。裁判ではその点が争われる場合は結構あります、「ホントに避けようがなかったか?」みたいな。

 
 私たちは、日本が行おうとしている戦争を止めることは出来るでしょうか。
 私たちは、原発の再稼働により、放射能の被害が拡散される可能性を止めることを自由に選べるでしょうか。

 これらが、ノーであれば、私たちには「責任」はありません、ご安心を。
 では、誰に「責任」があるのか、安倍首相?内閣?国会議員?その他、エライ人? いずれにせよ自分ではない誰か?

 だとしたら、私たちに「責任」はないと同時に随分、「他人任せ」の世界ってことで、それはそれで嫌じゃないですか?

 責任を避けるか、それとも、自分の世界の未来を決めるか。他人に任せる、という仕組みは、どうやら私たちの運命を他人任せにすることのようです。

 「議会制民主主義」は、まさに代議員に任せる制度ですが、これでは、私たちに選挙くらいしか責任はありませんが、ほとんど「他人任せ」。

 「責任」は、自由に自分の未来を選べる状態、っていうことであれば、あった方がいいのかもしれない。無理に避けるよう仕向けられているのかもしれない。

 ということで、皆で、「責任」とりませんか? もっと自由に。