ありがちな議論 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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「私は君の言う通りだと思うけど、反対の人もいるみたいだから、ここは無難なところ大きくまとめた方が得だろう。」というような話。あらゆるレベルで交わされてきた気がします。

 例えば、「司法改革」においては、かつて、政府は2010年までに毎年3000人の司法試験合格者に増員して法曹人口を増やす、とぶちあげていました。名目というかキャッチフレーズは「法治国家」とか「社会生活上の医師」とか、そして、「弁護士は少なすぎる。既得権にあぐらをかいている」という類いで。
 これに対して、日弁連は屈服、とりわけマスコミも乗った「人数が少ない、既得権」キャンペーンを気にした議論が多かったと思います。曰く「そりゃ弁護士を一気に増やしたら大変だけど、既得権っていわれちゃうからさ」。

 または、改憲や戦時体制化について、「あらゆる戦争は1%の資本のための強盗戦争だ。すべての戦争に反対しよう」という意見に対して「集団的自衛権行使容認に反対する点で一致できればいいのでは? 専守防衛や個別的自衛権の行使には賛成の人がいるわけだから」というような・・・。

 反対の意見と現実に意見を言い合うのが議論であり、勝手に忖度してしまうのでは、意味がありません。意見、そして根拠を開示しあい、ぶつけあってこそ、「何か新しいアイデア」が生まれるのではないでしょうか。

 そもそも「私はあなたに賛成だけど、違う人もいるから・・」というときには、その人自身が「違う人」なのだ、という話もありますが、あながち間違っていないと思います。遠回しに(あなたの意見には乗れないよ)ということです。

 自分の考えを「言う」ことは勇気が要りますが、自分の考えを「持つ」ことそれ自体もなかなか大変です。とりわけ、マスコミ、ネット、様々な「情報」の中から信じられる情報だけをチョイスして考えを組み立てなければ、間違ったことになります。
 しかし、それは自分だけでは容易にわからない。それゆえ、人は話し合うのではないでしょうか。

 結局のところ、このような「腰の引いた」きちんとした意見をぶつけない結果、弁護士は全体として貧窮化に追い込まれ弱体化し、改憲や戦争法案など、私が弁護士になった頃には、ありえないと思っていたような体制作りが目の前に展開されています。

 やっぱり、言うべきときに、言うこといっておかないとなあ、と思います。それも出来れば、みんなで。がんばりましょう!