カッコ良く生きたい。 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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なんだかんだ言っても、結局は、カッコ良く生きたい、だけなのかな、と思います。
いろいろ、人と食事したり、酒飲んだり、仕事で打ち合わせしたり、あるいはsnsでやりとりして、いろいろ話してみて、そう感じます。

カッコ良く生きたい、カッコ悪いことしたくない、それはやっぱあるな、と。

まあ、ぜんぜんカッコ良く出来てないし、なかなかうまくいかないし、そもそも、世間的には、かっこ悪かったり、イメージ悪かったり、鬱陶しいかったりなんですけどね。

でも、それでも、「普遍性(=みんなに通用する)」があって、歴史にも通用する「恰好いい」ことやろうとしているつもりなんです。
子どもの公立学校の入学式や卒業式で立たされて君が代歌うのはカッコ悪いな、とか、ここで、疲れるけどアウェーな意見を言わないのはカッコ悪いな、とかね。まあ、そういう意味では、無難にやり過ごすみたいなのがカッコ悪いな、と思うということだけど、みんなそうでもないのかな?そうなのかな?

人それぞれだから、みたいなのもカッコ悪い言い訳、言い逃れみたいな気がして、いろいろ言ってくる人の方が面白いし、カッコいいなと思います。

「俺だって、言いたいことはあるけど、立場があるから黙っているんだよ」なんてことを言ってくる人は、まだマシで、「言いたいこと」自体思いついてないんじゃないの?って思うことも多々あり、それはそれで恐ろしいな、と思ったりします。
つまり、な~んもそもそも思いつかないように、しっかり調教されちゃってここまできちゃったんじゃないの?って。

そんなこと言いながら、カッコ良く生きるなんて、そうそう簡単に出来ません。ともかく、ちっともカッコ良くいきません。時に、もっともカッコ悪かったりして・・・。

自分としては、グズグズして、決断出来ない時が一番カッコ悪い。なんだかんだ唯唯諾諾と状況に従っちゃったような場合が最悪にカッコ悪いなあと感じ、自己嫌悪に陥ります。

もうそんなこと関係ないよ、とりあえず、無難にやり過ごしたいよ、みたいな同世代も多いのかなあ、と思う時はあります。そもそも、ちっとも会話が噛み合わなかったりして。
人それぞれ、とか、自分らしく、とか、ではない「普遍性」が欲しい。あとで、「俺もそう思ったんだけどさあ・・」とか「まあ、俺も若い頃はさあ・・」とかは、カッコ悪いなあ・・・と思います。

これまでは、出来ていないので、これから、きっちりカッコイイことをやりたいと思うのです。