BBキングが89才で亡くなったとのこと、新聞にも大きく取り上げられています(5/15)。私は、大ファンというわけではなかったけど、ブルース、ギタリストとしての「教養」として、20年位前のブルーノート東京(移転前)でのライブと、雨の日比谷野外音楽堂でのブルースフェスティバルの演奏を観たことがあります。ホーンセクションを従えての、まさに、キングの風情で圧倒的な音の太さを感じさせるギターと歌。ジャンル的にはブルースでもアーバンというか、シティというか、洒落たジャズ的なフレーズと、間とタイミングの加減がBBの真骨頂という感じですが、名盤『ライブ ・アット・リーガル』でのファンキーな盛り上がりと聴衆の嬌声は、ブルースのブラックミュージックとしてのルーツを強く感じさせ、熱くなります。
そもそも、中学生の頃、ブルースを聴いてみようと思ったのは、エリック・クラプトンだとかジミ・ヘンドリックスや、さらにレッド・ツェッペリンらが聴いていたというわずかな情報を追いかけて、ということで、始めて、ホンモノのブラック・ミュージシャンのブルーズを聴いたときは、違和感を感じたものでした。
あまりにシンプルだったからです。ほぼ同じスリーコードで、もたったような後乗りのリズム・・・しかし、これが大人の音楽というか、ロックミュージシャンを夢中にさせ、やがて世界のポップミュージックの基本になる普遍性持つものだとだんだんわかってきた感じです。
その意味で、クラプトンや、そしてローリングストーンズなどのセンスは、時代の先端的なものだったのだなあ、と改めて感心したものです。古いものに新しいものを見出すというか。
ストーンズは、1969年の全米ツアーでは、BBキングとアイク&ティナをゲストとして同行しています〔BBはかなり気合いの入った最高の演奏をしています!)が、これは、自分たちの大好きなブルースを自分たちの聴衆に紹介したいということだったのだと思います。いつか、ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズは「自分たちの役割は音楽(ブルース)を継承していくことだ」なんてことを言ってましたが、そもそもローリングストーンズなんてマディ・ウォーターズの曲名をバンドの名前にしてしまっているわけで、そういう気持ちは強いのだろうな、と思います。
ブルースはフォーマットがシンプルなだけに親しみ易いとも言えるのですが、それだけに、生き残ってきたホンモノの方の個性と技は際立っていたと思います。BBキングしかり、ロバート・ロックウッド、Jrしかり、ゲイトマウス・ブラウンしかり、バディ・ガイしかり・・・。ライブを見ても、その圧倒的な存在感からして違うからなあ。
音楽は、もちろんそれだけで快楽であり、憂き世のウサを晴らしてくれる素晴らしい人類の発明だと思いますが、そのミュージシャンの佇まい、「仕事」の仕方、みたいなものは、聴衆である自分の生活や仕事、生き方にも影響を与えてくれると思います。「ああ、こういう風にディテールに拘るのか」とか「ああ、この見栄の切り方は法廷でも時に必要だな」とか。
最近、シックのナイル・ロジャースというギタリストのリズムギターをちょっと個人的に研究(!)していたのですが、6本あるギターの弦のうち3~4本の弦だけ鳴らす時にも、ならない他の弦の抑え方を丁寧にコード(和音)・フォーム通り変えていたりして、なんというか一流の人の仕事の仕方に学ぶべきものは多いなあ、面白いなあ、と思うのです。
ホンモノのブルーズマンがいなくなっていくのは淋しい。だけど、BBキングは亡くなったけど、彼の音楽は引き継がれていく、アフリカン・アメリカンだけじゃなく多くの人を勇気づけ、文化が継承していく。こういう「仕事」をしたいものです。