先日、五野井郁夫さん(高千穂大学准教授)を招いて、弁護士会で「ヘイトスピーチと改憲」というテーマで学習会を行いました。その際、五野井さんが話されていた「在特特権」などというヘイトスピーチの背景には歴史認識の欠如ないしは意識的/無意識的な歴史否認ということが大きいのではないか、という指摘はまさにその通り、と思いました。
紅白歌合戦で話題になったサザンオールスターズの『ピースとハイライト』
も「教科書は現代史をやる前に時間切れ そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの?」と歌っている通りで、かくいう私も近代以降の歴史に疎いということを海外の人と話すたびに思いました。
かつて「教科書検定訴訟」の弁護団の末席に加わった際には、それこそ「史料」に遡って立証を行うという、いわば「事実認定」の基礎の基礎を弁護団の諸先輩から叩き込まれたわけですが、この「かつて、何があったか」を正確に認識する、ということは、自分の思想ないし考えを形成する上で出発点となることですからかなり重要なのです。「事実」→「評価」ですから。だから権力側も思想コントロールの為に歴史教科書を「検閲」したがるのです。
ジョージオーウェルの『1984年』において歴史を改竄する重要な省庁として「真理省」というのが出てきます。やはり思想統制の重要な装置として「歴史を奪う」ということが行われる、という指摘でしょう。
今や、私たちの側からは現実に「政治」「思想」と同じく「歴史」もますます奪われようとしています。
だからこそ、朝鮮侵略の歴史、イスラム世界の歴史、治安維持法の歴史、アウシュビッツの歴史、第2インターナショナルの崩壊の歴史、そして「司法改革」など日本の新自由主義の歴史など今、きちんと学び、把握すべき歴史があります。
歴史は私たちにとって「武器」になるでしょう。裁判でも同じですが動かしがたい事実(史実)を突き付ける、ということはくだらない主張にとどめを刺すことになるからです。
今、私たちの身の回りで起こっている「災難みたいな」多くのことも、「自然現象」でも「天災」でもなく、人が引き起こした歴史の積み重ねによることが多いと思います。
かつての敗戦、特高警察による弾圧、そして弁護士の大増員など、すべて人の選んだ政策決定です。
歴史の責任をきっちり追及することは、未来を考え、選択する上で大事なことです。私もちゃっとおさらいしとこうと思います。
