政府は、私たちの「表現の自由」は許さない。 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 ともかく、「表現の自由」なんてものは、政府・資本にとって都合のいい言論か、もしくは、どうでもいい表現、つまりは、権力にとって「安全」な表現の自由を保障するにすぎません。

 つまり、私たちにとって本当に大事なこと、考えなければいけないこと、おかしいぞ思うことなどは、たいていは、権力の支配=治安の維持には不都合なので、当然、弾圧の対象であり「表現の自由」の範疇外です。

 みんな、本当に、言いたいこと、はみ出しても、あぶなくても、言いたいことなら言ったらいいと思います。

 ・・・なんてこともさることながら、本当に恐ろしいのは、そもそも、そんな「言いたいこと」なんて思いつきもしない、って状態になってしまうこと。
 つまり、「思いつくこと」自体が、既に権力にとっての「安全圏」内のことばかりになってしまうようにコントロールされつくしてしまう、ということです。

 「俺は、自由だ、だって、好きなときに働いて、好きなときに旅行して、好きなときに美味しいもの食べている」なんていうような・・・。

 そういうのは、「自由」とは関係ないのです、今、問題となっている「自由」とは。もちろん、時間の使い方、移動先の選択、食事の選択なんていうのも大事です。

 だけれども、自分の発想が限定されていないか、本当に自由か、ということは考えてもいい。もし、規制されそうになったり(それは例えば、学校からでも、会社からでも、そして国からでも)される畏れが全くないとすれば、それは、あまり「自由」とは関係がないことかもしれません。

 別に、とんがって、粋がって、跳ね上がったことをしなければならない必然性がないのにそうする必要もないのです。少なくとも自分の中に、やむにやまれぬ、そういう想いというか、表現欲求が湧いてこないのであれば、しょうがないし、逆にあるなら「自由」に解放させてあげるべきだな、と思うわけです。

 世界中、言論統制へ向かっているようです。どこの国の政府も私たち側には「表現の自由」を認めません。統制して排外主義に心を持って行かせ、お互いを闘わせたいのです。自分(=政府)の方は言いたいこと、やりたいことやりまくっているくせにね!

 そんなのゴメンだぜ、俺は、政府の言うことなんてきかないぜ、って声をあげないと、日本でも、またしても「治安維持法」みたいな、嫌な弾圧と相互監視の社会が訪れてしまいます。
 今日から始まった国会がやばいです。闘いましょう!ロックンロール♪