本日、私が担当した刑事事件の無罪事件が共同通信より配信させれ、続々と報道されました。
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/incident/mainichi-20141211k0000m040100000c.html
ここで、「犯人性を肯定するため証拠の評価を歪曲(わいきょく)し作り出したと批判されても仕方ない。恣意的な証拠収集がないか疑念を抱かせる」と裁判所をして判決に書かせたのは、被告人と弁護人である私の執拗な押し込みのよるものです。普段、検察官の主張にべったりの裁判所が自ら、そのような判断をするわけがありません。
警察が何をやったか。それは、事故現場から事故車両が通った「はず」の経路上の防犯カメラに写った被告人の車両に「似た」(と思った)車の画像に「凹み」があると断定した証拠をねつ造したのです。そして、起訴検事もそれを知りつつ、起訴したという次第。
http://ameblo.jp/mfb1991/entry-11925667295.html
とんでもないことです。これが警察、検察の実情。こんなことも、被告人や弁護人が気づき、指摘を、執拗に押し込まないと裁判官は無視です。何しろ裁判所は、これらの記録に基づく勾留の令状は発しているのですから。許しがたいことです。
さて、本日、特定秘密保護法施行。権力は上記のような偽証拠を作る機関であり、さらに、今後は、それを秘密にする法的システムが施行されます。私たちを一方的に監視しつつ、自分たちの秘密とウソは抱え込む。
つまり、まともな証拠がなくても、逮捕したければ逮捕し、勾留し、起訴し、有罪にすることも、より容易になります。
権力はウソをつく。信用出来ない。このことは決して忘れてはいけないと思います。
