今回の選挙のもっとも大きな意義は、多くの人が「選挙って何だかなあ」と、この議会制民主主義のあり方自体の限界に出くわした、という点ではないでしょうか。
自分(たち)の意思の実現が、民主主義であるとしたら、この選択肢(オプション)なしの選挙の場合、どうしたらいいの? 選ぶ人、選ぶ政党ないんですけど?というのが、大方の皆さんの気持ちではないかと思います。落としたい人とかだけは決まってんだけどね~、みたいな。
それは、極めて健全な生活感覚だと思います。私もそう感じます。なんか代議制なんてインチキなんじゃない、役に立たないように出来ているんじゃない、という感想。
100年くらい前、レーニンは選挙っていうのは「支配階級のどの成員が、議会で、人民を抑圧し、ふみにじるかを数年に一度きめること(『国家と革命』
)」と指摘していましたけど、まあ、100年後の日本で、多くの人がそれを実感しているのだと思います。
で?だったらどうしよう?ということになります。選挙に行かなければ解決?いやいや。だったら選挙に行けば解決?う~ん。
そもそも、選択肢(オプション)からチョイスする、という生活に慣らされすぎている、という気もします。
自分で、自分たちで、「選択肢」を作っちゃう、もしくは、「選択肢」になっちゃうっていうのはどうでしょう?その方が、「御仕着せ」ではなく、かえって個性的でしょ?「御仕着せ」のオプションなんて嫌でしょ?
戦争もいやだし、原発の放射能もいやだし、消費税も納得出来ない、だったらどうするか、という生活の問題、それが政治です。
要するに、今回の「選挙」の意義は、その生活の実現を私たちが主体的に、自分の意思で発揮することに本気ださないと「ヤバいな」って気づくための政治的経験だと思えば、そして、その「気づき」に基づき、行動に転嫁すれば、大変、意味があるのだと思います。
自分で言いたいことをいい、皆で実現する、その為には選挙(投票したり、応援したり、立候補したり)もあり、デモもあり、集会もあり、ネットその他の方法もあります。自由に利用出来るものはどんどん利用しましょう!
オプションを与えられるのを待っているだけの「奴隷」で一生終わらない為にね。
