思想が「カルト」なら | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 「自由」で、「公平」な現代、思想や宗教やイデオロギー、などは、カルトと整理され、排除され、触れないようにされています。
 時代の支配的な思想は支配者の思想である、とマルクスは言っていたと思いますが、この「排除する思想・イデオロギー」自体が一つの思想なのです。しかし、支配されているので、人々はこれをプレーンな「常識」として認識して、自分が一つの思想に支配されているなんて思わないようになっています。これは、どの時代も同じようです。

 ということで「常識」に異議を唱えることは「カルト」に押し込められ、「異端」と扱われ、「過激派」と扱われ、ともかく近づかないようにされてしまいます。実際、多くの人は近づかないので、意思表示する人自体、「カルト」のように扱われがちです。

 けど、自分で考えて、自分たちで議論して、意思表示する、ことが思想であり、表現です。それが、カルトであるなら、我々は生きることがカルトということなのだと思います。
 1%に都合のいい抵抗しない「奴隷」になるならともかく、「現状、おかしいじゃん」と言った途端にカルトとなるのはなんだかなあ!とは思います。

 まあ、だけど。確かに、そんなことする奴が少ないか。まあ、だいたい、抽象的なところに終始するか、「政治」と整理されることは避けるかして、「賢い」奴隷のようにしている。それが、イマドキのオトナなのかなあ。

 批判されないよう、目立たないよう、後ろ指さされないよう、大きなことに関わらないよう、そうやって生きるのがオトナなら、カルト、異端、過激派と揶揄されるような存在になる方がマシだなあ、と思うんですけどね♪
 
 学生たちが、頑張り始めています。まあ、この現状、そして未来をめざして抵抗するのは当たり前ですよね。大学に公安刑事が忍び込むなんてとんでもないこと。そんな時代なのです。なんと言われようとも、言いたいことを言わないと!

          写真はデモ参加者を勝手に撮影する公安刑事たち