平凡に生きる、ことは贅沢か | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 少なくとも「戦後」日本型、ないしは20世紀型の生き方・ライフスタイルのステレオタイプが、「学校を出て、会社に務めて、結婚して、ローンで家を買って、子どもを生んで育てて、退職して、年金で暮らす」であり、若い頃はともかく、後はレールの上感覚、ちょっと退屈だけども、まあ、平凡で平穏だ、みたいなものだったとすると、そうやって生きることは困難になっている、と思います。ましてや「サザエさんの世界」なんて夢のまた夢?

 まず、非正規職は、雇用者の4割弱で、さらに増加傾向です。つまり、かつての終身雇用の正反対=「期間限定」で企業にとって不要となったら「雇い止め」、という不安定な仕事を選ばざるえない確率が高まっているということです。  これでは、自分の将来の長期の展望を描くのは、かつてより、より難しくなっていることは確実です。

 ということで、「結婚して、子どもを作る」という人類存続のスタンダードなあり方自体、日本では、先細り。少子化と人口減少の傾向が継続中です。

 まあ、自分一人が生きていくだけでやっとだよ、という人々が増えているということですね。生きやすければ減らないでしょう。
 
 いまや、かつてのステレオタイプで、平々凡々と生きて死ぬ、なんてかなり「贅沢なこと」なのかもしれません。

 贅沢って言っても、そうしないと人類滅亡です、このまま人口が減少し続けたら。

 ・・・なんて、大きな話ではなくても、既に(かつての)平凡なセット=結婚済・子ども出産済(複数)・ローンで家購入済、なんていう働き盛り(であるべき)世代の方は、当然、たくさんいます。そういう立場からすれば、もう選択の余地なく、生き抜かなければならない、そういう時代です。

 じゃあ、どうするか?「何時か、景気は持ち直す」のか? 明日、誰かが革命を起すのか?

 私たちにとっては、ともかくは、大きなこと(戦争やら、原発やら)はさておき、目先の生活、明日の食事が大事、ということになります。当たり前。

 今となっては、なんと「平凡に生きる」ことが目標、みたいなのが現実。その目標のための「戦略・戦術・手段」にノマドやシェアやコワーキングなど新しい試みが提案・実践されています。

 いろいろ試すのはいいのではないかな?と思います。つまり、「平凡を目指して、新しい試みをする」ということです。
 どんなことでも、「新しいこと」はドキドキします。怖いし、不安ですよね。
 
 けどね、この組み立ての順番は大事だと思うのです。「新しいことがやりたいから」が先に来るのではなく、「平凡に、普通に生きたいから」が先にくる、ということ。「平凡」や「普通」の定義は、そんなに深い話をする必要はなくて、総体としては、健康に皆で生き、次の世代に繋いでいく、という生物的なものでいいと思います。

 仲間と一緒に、普通に、平凡に生きられる世の中がいいなあ・・・時に、音楽や、読書や、旅行したりして。それは、かなり贅沢なんだなあ。

 それでもね、そのためには、一所懸命働いて、先を見ながら新しい試みも試し、人の役に立ち、仲良く暮らすべく務めます。原発も戦争のない方がいいので止めさせる試みも行います。朝起きて、走って、離婚の交渉をし、外注化反対のデモに行き、借地の処理をし、相続の調停を行い、戦争反対の集会の司会をし、労働事件の裁判をし、Blogを書き、寝ます。それ自体を好きでやっているわけでなくても、余裕でもなく、必要なこととしてやっていきます。