「仕事が楽しみなら、人生は楽園だ。仕事が義務なら、人生は地獄だ。」(ゴーリキー)
誰もが、自分が今やっている仕事と別の仕事だったら・・・と想像することはあるかと思います。まあ、だいたい、そういうことを考えるのは、ツラいときでしょう・・。
弁護士になる、ということが、「司法改革」等により、借金まみれ・就職難・仕事の減少など今や「厳しい選択」であることは、既に、常識になりつつあると思います。東大法学部の定員割れや、司法試験受験生の激減など客観的事実に顕著に現れています。
ということで、逆に考えれば、今、弁護士を志している人たちは、弁護士になってお金を儲けようなんて考えは、サラサラないものでしょう。
そうではなくて、大変だけど「やりたい仕事」としての弁護士の仕事をイメージしているものと思います。
それは、独立しているという存在のあり方、専門分野を持っているという技能取得への憧れ、法廷等でのやり取り、そして、正義の味方としての社会からの尊敬の獲得・・・といったところでしょうか。
そう思うと、改めて身が引き締まる思いです。別に職業に拘る訳ではないですが、自分が選択した「仕事」を改めて楽しもう、やり切ろう、使い切ろう、という。
多くの、つまり99%側の人々と同じく、弁護士も、明日は知れぬ仕事であり、ついついお金を稼ぐことを考えがち、ですが、それが先だと、まさに地獄だし、そうではなく、まずこの仕事をやり切る、という思いが先立てば楽園、なのでしょう。もちろん、なかなか難しい、いや、ますます難しい時代なのですが・・・。
それでも、この仕事をやりたいんだ、弁護士になりたいんだ、という人が、この時代にもいる、というのは、素晴らしいことだと思います。何人かの修習生らと話していて、かえってこちらが励まされたりします。
私自身、弁護士という仕事も、そして生活も、父親の影響でわかっていたので、金銭的な期待はさしてありませんでした(!)。それでも、自分で「仕事」や「活動」を選び、行きたいところ(行くべきところ)に行く、そして、権力だろうと闘うべき相手と闘う、そういう「自由業」としてのあり方はいいな、と思っていました。
そう、自由な仕事、それが弁護士、ということです。だったら、その自由を従前に拡大していく、徹底的にやり切ろう、そう思います。
そういう自由な弁護士としてのあり方自体を変容させようという新自由主義の攻撃(さらなる増員政策、予備試験廃止、法曹有資格者等による自治の解体等)は続いていて、困難な時代です。
だからこそ、生き抜く必要、弁護士として存在しきる必要はますます要請されているのだと思います。がんばるしかないですね!
「問題は特技とかやり方なんかじゃなくて・・・
どうやりとおせるか ということでしょう?」(ブラック・ジャック)
