「異変」を感じたら・・・ | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 高城剛さんの本は、たぶん、ここ数年のものは全て読んでいると思います。時代に対するアンテナが鋭敏で、新し物好きで、変化が好きな方で、仕事はイマイチよくわからない(!)のですが、世界の具体的状況、そして、政治や歴史にも一家言あり、とても「刺激的」です。

 最新の『世界はすでに破綻しているのか?』(集英社)というのも、ここ四半世紀の国家の財政破綻の実情を取材と体験も含め、マクロ・ミクロの視点から書かれていて、とても興味深い内容でした。

 これまで、破綻した国の実情、アルゼンチンやギリシャ、スペイン、そして、アジア(例えば、韓国では成人の10人に1人は海外で生活している、とか)、さらにデトロイトなど、いろいろ触れています。特に印象に残ったのは、最後の方の以下の部分です。
 「崩壊の序章では、誰もが『今は状況が悪くても、必ず戻る』という。どんなに株価が暴落しても、また生活が苦しくなっても、『しばらくすれば戻る』と皆が口を揃えていった。しかし、戻ることは決してなく、社会は大きく変化することになる。世間の様子がおかしい、と肌で感じたとき、それまでの考え方と距離をおかなければならなかったはずなのに、『やがて戻る』『どうにかなる』と楽観的に思い込んでいた彼らは、自分を見失っていき、気がつくとそれは大きな社会的混乱へとつながっていった。」
 私も、リーマンショック時に、某外資系証券会社の方が依頼者でしたが、同様の「楽観的な」推測を言われてました。私は、その時点で、疑問だったので「何でですか?何故、持ち直せるんですか?」と尋ねたのですが、「そうじゃないと困るから」という答えでした・・・・。

 異変や変化に気がついても、それに対処する、具体的に行動する、というのはなかなか難しい。しかし、その気づきと行動の間の深い溝をどう渡るか・・・そこは本当に重要なんだろうと思います。
 自分としては「革命的」、であろうとしても、日々の生活は積み重ねであり、必然的に「保守的」であることを求める部分はあるわけですからね。

「四半世紀を通じて、さまざまな国家破綻を目の当たりにしてきたが、ずるずると欲望や時の流れに身を任せていた人々は淘汰されることになった。それとは逆に、今までの暮らし向きを瞬時に切り替えた人々は、大きな時代の渦に巻き込まれることなく、粛々と生活を続けることができているように思う。常に自分を見失わず、自分なりの『異変』を感じたら、誰になんと言われようが、即座に変わり身をすること。大きな社会変化が差し迫った時代の中で、生き延びる秘訣はそれに尽きると、僕は思っている。」

 う~ん、即座に変わり身か・・・出来るかな? しかし、そういう選択が皆にせまられている時代がきているとは思います。意識の転換を意識的に行い、さらに具体的な日々の行動の具体的変化を試みる、そんな勇気が必要なのかもしれません。