弁護士らしさ、とは | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 ふ~んと思ったのは、先日見た『永遠のゼロ』で特攻隊の生き残りの若者が、もし生き残ったら世の中に役に立つ事をやりたいというようなことを言って、その後の姿として「あまりお金にならない仕事をする弁護士」になっていたという描き方、というところでした。

 なるほど、弁護士に、まだ「世の中に役に立ついい仕事」というイメージがあるのだな、と素直に思った次第。

 一方、これは見ていないのですがNHKの朝ドラ『花子とアン』にも、戦争に反対して逮捕されてしまう弁護士が出てくるとか。志・信念をもった者がなる職業としての弁護士、というところでしょうか。

 弁護士のイメージ、弁護士らしさ、っていうのは、どういうものが一般的なのでしょうね。一方ではお金持ち、というイメージもかつてあったのは事実。 
 もっとも、これは、「司法改革」により、ここ数年で崩れ去りつつイメージ、というか実像ではあるでしょう。

 私の中の弁護士像は、「自由」ってところだったと思います。自由業、つまり自分で方向性やあり方をデザイン出来るような仕事。と同時に、定期収入や保障もなく、その意味でも不安定な自由の中にある仕事、というところでした。

 今や、弁護士の実像は、どんどん変質しています。というか政策(司法改革)的に変質を余儀なくされています。自由、と言っても、本人の自由ではなくて自由競争の市場に叩き込まれ、ショーバイ、商売した生業として社会正義もへったくれもないじゃん、という世界にぶち込まれています。
 何しろ、法科大学院なんて行ったら学費が数百万以上かかって、研修所でも給費も貰えなくて、仕事が減っているから就職もままならないって状況ですからねえ。
 
 しかし、私の弁護士像には、闘う仕事、時に権力とも闘う職業というイメージもあります。
 なので、昨今の日弁連の翼賛的な腑抜けた姿勢には、戦中の「大日本弁護士報国会」のような翼賛体制への前触れのような不気味さを感じます。1944年、「不断に皇国の現実に即する積極果敢なる実践活動を展開し法曹報国の誠を致さん」という目的で結成された任意の弁護士団体です。その前の段階でも日本弁護士協会は満州等に弁護士を慰問に派遣していたとのこと・・・。

 ・・・というか、現在の多くの弁護士は、当たり前ですけど、生きるのが精一杯で、そんなことに関わる余裕もない模様・・・

 弁護士は闘う仕事、自由のためにきちっと闘う仕事・・・なら、ここは踏ん張りどころではあります。
 労働組合、闘う弁護士会、それらが解体されるとき、戦争は始まるのです。ここはキツいけど頑張りましょう!