ある日、あなたが逮捕されたとします。そして、頑張って、頑張って黙秘をしたにもかかわらず、起訴されたとします。あなたは、「ひき逃げ」の犯人として、その時点で新聞にも名前入りで報道されてしまいました。
しかし、裁判が始まったら、その証拠とされていた写真、「ここに凹みが認められる」というキャプション付の写真が撤回されてしまったら? いやあ、この写真の車はあなたのではありませんでした、ということで。じゃあ、その写真に写っている車の持ち主が犯人ということですよねえ?と尋ねたら、いやあ、凹みもありませんでした、って・・・。
そんな馬鹿げたことがあるはずない!と思うでしょう、誰もが。警察が必死に捜査して、検察官がそれをチェックして、裁判所も証拠を見て、勾留しているだから。
だけど、それが現実。事故した瞬間を目撃した人もいない、接触を示す鑑定証拠も一切ない、それでも逮捕して、起訴され、「犯人」として報道される。
こんな裁判が、今日から再開しました。一年以上も前の事件です。会社から「起訴休職」処分で無給中。あなたは、耐えられますか。それでも、起訴された事件の99%以上が有罪となるのが日本の刑事裁判。無罪を獲得するのは並大抵のことでは無理です。しかし、被告人とされてしまった方の、まさに人生が決まる闘いです。
不運にも疑われるような事情は確かにあるのです。しかし、疑わしきは罰せず。それが、現代の刑事訴訟の原則のはずです。何よりも、被告人は認めていません、20日間の勾留で黙秘を貫くのはハンパなことではありません。警察官、検察官に徹底的に追い詰められるのです。それでも、貫いた被告人を信じます。
弁護人である私も、本件は初期に当該被告人を犯人と決めつけた捜査官らの作り上げてしまった冤罪だと確信し、本日、弁護人の冒頭陳述で、その旨表明しました。当該捜査官らや被害者と思われる方も傍聴する法廷で。
刑事弁護は、国家権力との法廷というアウェイでの闘いです。それをやり抜くから「弁護」士なのでしょう。明後日は、3名の証人尋問。徹底的に頑張ります。
