「『貧乏士族』が増えている 弁護士・会計士=士業の憂鬱」というタイトルの記事がありました(『週刊東洋経済2014.7.26』)。国税局の統計(2012年)上、所得200万円以下が申告した弁護士の4分の1を占めるという事実を指摘し、「弁護士過剰で低年収へ」という見出しです。「司法改革」が狙い通りに進んでいる、ということではあります。
さて、弁護士というのは、そもそも、どういう仕事でしょう? なかなかわからないのではないでしょうか? 私は、父親が弁護士でしたが、父親が何をやっているのかはよくわかりませんでした。子どもの頃は、父は、よくベトナムとかストックホルムとか海外に行っていたので、そういう仕事かと思ってはいましたけど。実際、それは、仕事というよりは、ベトナム反戦の「ラッセル法廷」の活動だったわけですが。
いずれにせよ、よくわからなかったのですが、まあ、「正義の味方」なのかなあ、とは思いました、少なくとも父親は。
大学生の頃、何となくサラリーマンになりたくないとか、親への反発として難しい試験に挑戦してやる、とか、よくわからないままに司法試験に挑戦し、かなりキビシい20代前半を経て、合格し、さらに、司法修習を経て、弁護士になった頃には、まあ、弁護士もいろいろいるんだな、とはわかってきました。
それでも、私としては、弁護士=父=森川金寿のスタイル、というところはあります。
弁護士とは、正義の味方であり、庶民・民衆の味方、そして、反権力の闘いをする仕事である、というものです。
理解されにくい部分もあるのですが、テレビドラマとかで、権力側=刑事や検事が主役で、正義とかひけらかされると、チャンチャラおかしいぜ、とツイツイ思ってしまいます。
イマドキ、権力に正義がある、と思う人も少ないですよね。「お上」なんて意識はそんなにはないでしょう。何しろ、戦争するという宣言をして、福島の子どもの甲状腺がんを無視して原発の再稼働に踏み切ろうとしている権力、をです。
正義は民衆側にある、反権力側にあるのです。弁護士の誇りは、そこに立つ、民衆側の闘いの先頭に立つ存在、というところにあると思います。本質的に、ロックな仕事、いいなりになるもんかの仕事、というところに誇りを感じています。頑張ります♪
