今のところ、中国も韓国も北朝鮮も、そして日本も、国内の私たちの不満を逸らす為に、ギリギリの排外主義として、または、勇ましいナショナリズムの発露としての「好戦姿勢政策」を展開して、軍用機が30mにまで近づかせて、ミサイルを飛ばして、チキンレースのような様相ですが、計算近いで、本当に衝突してしまう「事故」が起こって、そこから戦争が始まる可能性は十分にあります。
日本も公明党の賛成により、いよいよ「戦争の国」として旗をあげようとしています。
ということで、いよいよ反戦と国際連帯の声を上げていくべき時、それは今、ということだと思います。
一方、父親としては、一つの近未来の想定として疎開先を検討することになるのでは、とも感じ始めています。
思えば、3.11の直後の「春休み」には、幼い子どもがいる家庭で、妻の実家が西日本方面にある方の多くは、あっという間に移動し、東京で単身、仕事をするという夫が残されていたりしましたが、それもある種の「疎開」だったと思います(そのまま、疎開先で定住も多く見られました)。
さて、戦争という場合、21世紀日本の疎開先として問題となるのは、やはり原発ではないでしょうか。
何しろ、「前の戦争」の疎開の時と異なり、今や原発は日本中の美しい海岸沿いに張り巡らされているところ、そこに爆弾落とされれば、目も当てられない、からです。という意味では、かつてより安全な場所は格段に減っているわけです。
そんな恐ろしいことしないしょって?しかし、人類は、原子力爆弾を都市部に落としたことは複数回あるのです。私たちはよく知っています。
やるはずのないこと、も行われることはあるのです。それが歴史の真実。
日本が戦争に参加し、つまりは「前の」時と同じく、攻撃の対象となる場合、例えば、爆撃の対象となるのはどこになるのでしょうか? 集団的自衛権の行使は、他国での戦闘を想定しているのでしょうが、始まった戦争が想定の場所で行われる保障はありません。歴史の事実です。
