弁護士は食わねど・・・ | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 父の本棚にあった、ストライカーの『弁護の技術』は、時々引っ張りだしますが、「新事件の到来」という章の冒頭部分には、今こそ、現実感のある素晴らしい示唆が展開されています。
 
「新しい、興味のある事件の到来は・・・あるいは、最もはやっている弁護士にさえままあるように、それは長い涸渇期の末にはいってくるかもしれない。というのも、公判弁護士の仕事ほど興味のあるものはない代わりに、またこれほど不安定な仕事もないからである。」

 ・・・確かに、基本、弁護士は雇用されているわけではないので定期収入というものは原則ありません。私も、父からこのことは、「弁護士は自由業だ。(ということは)反失業者で失業の自由もある」みたいなことを聞かされていたので、そんなもんだろうとは思っていました。
 さらに、ストライカーは続けます。

「最も隆盛を極めたころでさえ、忙しくないことが数日、いや時に数ヶ月もつづくことがあった。或る日彼と昼食をしたとき、私は聞いた。『マーチン、仕事は忙しいですか。ちかごろお名前を新聞で見ませんが。』彼はこう答えた。『いや、このところ、全然暇なんだ。もう実に長いところ誰からも電話がかかってこないので、昨日電話会社へ電話して、なにか故障のため、ぼくのところに電話がかからないのではないか、と尋ねたところだ。しかし、何の故障もない立派なものだという返事だったよ。』私は言った。『こんな時には、やはり気がもめますかね?』彼は答えた。『いや、ぼくが信じている平均の法則からすれば、そのうち誰かがやってくるだろうよ』」

 うへえ~、という感じですけど、ああ、昔からそうなんだ、大先輩たちもそうやってシノいできたのね、と感慨深いです。同時に、日本の「司法改革」=弁護士増員路線が狙った「弁護士のあり方」というのは基本的に、こういう状態にする、という意味では、ますます狙い通りになってきているなあ、と思ってしまいます。

 そのうえで、そういう「待ち」の時間の過ごし方まで、ストライカーは言及します。

「これらの時間は、成功の二つの最も重要な要素、すなわち勇気と精神の絶えざる向上と涵養するために使うことが出来るのである。・・・ジョン・マーシャル同様に彼は、『制定法や判例集しか読まないような弁護士には『学識がある』(learned)という名誉ある慣例的な形容詞をつけてもらう資格はない』と信じていたのである。」

 ・・・ということで、仕事がないならないなりに、その時間を使って教養を積みなさい、「勇気と精神の絶えざる向上と涵養」のために、ということでしょう。
 確かに、弁護士は独立した存在です。ということは、そういうことで、士(さむらい)業としては、武士は食わねど高楊枝、という姿勢でやるべきことはやっていきます。

 *写真は、95年発行の「教科書裁判ニュース」です。20年近く前ですが、弁護士の失業の自由に触れています。