取調べの可視化に前進はあるのか? | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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自白強要による冤罪を防ぐ為に、警察や検察の取調べ過程をオープンにする、いわゆる取調べの可視化という問題ですが、私の刑事弁護人としての「現場」感覚からは、「全面可視化」というのは、あり得ない「幻想」ないし、駆け引きの「エサ」ではないかと思っています。

 無罪を争うような刑事事件、とりわけ公安事件では、刑事たちは、例えば、「転び公妨(公務執行妨害)」と言って、目の前でわざと自分で転んで、狙った市民を逮捕したり、取調べという名目で監禁した状態(一応、勾留という合法性を纏いますが)の学生に思想の転向強要を迫ったり、「あの弁護士は、過激派だぞ、弁護士変えろ」とか「あの弁護士は法律のこと何もわかっていないぞ」などと暴言を吐き続けます。

 このような逮捕からの一連の過程をすべて、民衆=被疑者側のコントロールで録画録音出来る状態(例えばgoproとか使って)を「可視化」というのであって、警察・検察側が録画したものを開示されても「可視化」とはなりません。自分から都合の悪い場面を見せるバカはいませんから。村木厚子さんも指摘している通り「取調べをする側が開示する範囲を決めるなんてありえない」のです。

 今でも、警察や検察は、「任意」の取調べに際し、被取調べ者が録音することを拒みます。
 警察や検察は見えないところで「自由に」のびのびと「見せられないようなこと」をやりたいのです。公務であるにもかかわらずです。

 なので、「全面可視化」と警察・検察側が言ったとしても、それを信用する事は全くできないのです。それよりも、あらゆる段階での被疑者側のイニシアチブによる録画録音が出来なければなりませんが、それは、絶対に反対するでしょう。

 「全面可視化」を求める運動が意味を持つのは、「警察や検察は見えないところではとんでもないことをするもの」だ、という認識を民衆全体で共有化するというところに意味があるのだと思います。

 従って、今の日弁連執行部のように、勝手に幻想をもって取引と思い込んで、盗聴の拡大に屈服してしまうなんて愚の骨頂です。執行部の弁護士たちは公安事件とか担当したことないのではないでしょうかねえ。

 一部だけの「可視化」なんて、警察・検察側の「言い訳」「アリバイ」に使われるだけで有害無益だと思います。