現在、「横浜事件」で治安維持法違反として逮捕され、そして拷問され有罪となり、しかしその後、50年以上の時を経て、再審開始決定をこじ開けて「免訴」となった被告人の遺族の方が国家賠償を求めている裁判を担当しています。
今般、法廷で中心論点となっているのは、「判決の焼却」問題です。第1次再審請求を行ったとき、判決が添付することが出来なかったため再審請求は棄却となったのです。このとき、請求代理人として父親森川金寿の感覚は「よもや自ら燃やしておいて判決がないから再審は認めないなんてありえない」というものだったようですが、そうではなかったのです。
結局、そこから約20年の時を経て、環直也弁護士が判決を「復元」しての第3次請求でようやく再審開始決定に至りました。
この経過からも明らかなように、判決の焼却ということは、いわばその後の責任追及を回避するためのデタラメな国家行為であり、あまりに惨めな責任回避だったのです。
今般、原告の木村まきさんを中心に様々な文献調査の結果、具体化してきたのは、ポツダム宣言受諾前から「閣議決定」で「様々な公文書を焼却してしまえ、進駐軍が上陸して押さえられる前に」というのが国家意思として形成されていた、ということです。
つまりは、敗戦国日本(政府)の戦後の歴史は、まず、責任回避のための証拠隠滅という大方針から始まったということです。この保身のための秘密主義というのは今日の特定秘密保護法体制にも連なる国家のあり方の基底となっていると思います。
今、この横浜事件国賠訴訟が面白いのは、この、いわば「公知の史実」である国家による判決の焼却という事実について国(被告)の認否が曖昧であるため、執拗にどういう意味なのか追及する我々原告側の意思がようやく裁判長の訴訟指揮に影響を持ってきた点にあります。
国(被告)のスタンスは、「そもそも時効、除斥期間にかかっているので認否の必要ない。強いて言うならば『不知(注 わからないの意)』である。事実については内部的に調べたが確認出来なかった」というものです。
私たちは、国自身の行為なのに不知とはどういうことか?何をどのように調べたのか?何をどのように調べたかも言えないのか?確認できないとはどういう意味か、不明ということか、なかったということか?などと問い質したところ、裁判所も「(判決の焼却の有無等は)そもそも被告(国)の領域に属する事柄である」「答えることを拒絶するのならその理由を述べよ」「関連性がないとは言いきれない」と国に対して認否を迫ったのです。
もちろん、国(被告)は逃げようとするでしょう。しかし、逃げれば逃げる程、国のあり方ははっきりします。今も昔も都合の悪いことは隠す、というあり方です。
このことを多くの方に知ってもらいたいと思います。日本の「戦後」とはそういう風に始まり、反省もなく、その結果、当然にも、今、また新たな戦争体制に突入していこうとしている、ということをです。
この国の何も変わらない姿勢を暴露することに本件訴訟の大きな意味はあると思っています。
