アルフレッド・アドラーという人がなんだか流行ってます。一冊読んでみました。なるほどってことも言ってますね(エラそー、俺)。
自由とは嫌われる勇気、ということのようで、それはそれでそうだな、と思います。なかなか勇気要りますよね、嫌われてもいいや、って。
でも、アドラーは、自分より仲間、仲間より社会のため、みたいなことを言ってるので、嫌われる、というのは、「その場、その時、嫌われてもいいじゃない(いつか理解されるよ)」、っていうことじゃないかなあ、と思います。
確かに勇気出す、ってシンドイので、何かのため、誰かのため、というのがないとやってられない、と思います。でも、そう考えると、自由ってどんどん「個人的なもの」から遠ざかりますね。
そういう意味では、自由と言っても、ピュアな自由って、誰もそんなに望んでないし、平凡な日常の中からは出て来ない発想、それが「自由」ということかもしれません。
自由って、それほどいいことではないのかもね? 嫌われたり、叩かれたり、勇気がいること。流れに逆らって、カドたてて、汗かいて・・ おとなしくしてた方が、マシかも(って、変換は「大人しく」、だし)。
まあ、そもそも、「個人の自由」って概念がもてはやされるのも、ブルジョア思想、大事なのは「階級的自己解放」っていうのが革命思想。せこい個人の自由より、みんなの解放だ!・・・これもアドラー的でしょうか。
ある意味、一番、「嫌われる自由」を行使しているのは安倍首相かもしれません。「日本の1%の資本の為に」という大義があるのでしょうねえ。
・・あ、俺、嫌われちゃう?
あなたにとって、自由とは? 嫌われても実行したい「自由」はありますか?
