戦争は平和である  ダブルスピークの時代 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 小説それ自体には出て来ないのですが、このダブルスピークの由来はジョージオーウェルのディストピア小説『1984年』にあるとされています。
 ダブルスピークの用例の典型としては、「戦争は平和である」「自由は屈服である」「無知は力である」だとか「軍事をつかさどり、永久に戦争を続けるための政府機関を「平和省」と名付けたり、国民に対するプロパガンダを行い、歴史や記録を改竄する政府機関を「真理省」とする小説の中の用法があげられています。ダブルスピークとは矛盾する反対の概念を無理矢理押し込むような概念設定、ということになると思います。

 皆さんが、お気づきのように、現在の現実社会では、ほぼ、このダブルスピークは定番になっています。
・ オリンピックを準備しながら、武器輸出を解禁する。
・ 命を守る為に、人を殺す準備をする(集団的自衛権容認)。
・ 豊かにするために残業代をゼロにする。
・ 原発事故が起こって危険なので安全基準を緩和する。

 私は、この『1984年』を1984年に読みました。ジョージオーウェルはこれを、1948年に未来小説という設定で書いたようですが、実際の84年には本屋で平積みになっていました。民営化が始まらんとする時代でしたが、当時は私はまだ、「SF小説」として理解していました。
 世界の『1984年』化は、残念ながら、さらに進んだように感じます。非現実的だと思った「空想科学」は、「現実」になってきました。オーウェルの警告だったということが理解できます。

 どうすればいいのでしょう? 「逆らう」しかいないのではないでしょうか。「戦争は平和ではない!」「屈服は自由ではない!」「力を得る為には知ることが必要である!」と。

 この小説で印象深いのは、個人レベルの恋愛にまで支配を貫徹しようと徹底している点でした。心の中では逆らう、心の中では何か大事なものを守る、ということ自体許さない、という徹底ぶりです。
 
 実際、私たちも声に出したり、表現したり、動いたり、しないで、「いつかやろう、いざという時には」と思っているうちに、「できない心と身体」になってしまうかも、と恐怖を感じます。
    逆らいましょう、逆らえるうちに! Keep on rockin,