私自身は、いろいろ思いついたこと、おかしいと思ったことを出来るだけ、わかりやすく、かつ、ストレートに伝えるということを意識してBlogも書き、日々の仕事や生活でも、そうするように心がけています。何も角を立てたいわけではないし、目立ちたいわけでもない。ただただ、必要なことだから、と思っています。言いにくいこともあるし、誰も言わないが為目立つこともあると思います。それでも、黙るのはまずいな~と思うので。
世間では(何を持って世間というのかはわかりませんが)、必ずしも同じように考えている人は少ないのだなあ、とつくづく実感します。それは、身近な人、友人や同業者を含めてです。
当たり障りなく、そつなく、相づちをうち、腹で違うことを考えている、ということかなあ、と思ってしまうことが多いです。
「それは大事なことですね」とか「そういうのって皆そう思っているよね」とか、「そういう言い方もありだね」とか、がせいぜいのシンパシー発言ってところで、私としては、「で、あなた自身は、私の発言についてどう思っているのですか?」と改めて尋ねてみないとわからない、という場面に数多く出くわすのです(「難しいですね~」で交わされますが)。
もちろん、私の力不足というのはあるのでしょう、というか痛感しますけどね。なんの反応、アクションも呼び起こさず、そつなくかわされるということは、まだまだ、全然ダメだなあ、って。
それでも、出来れば、中身について会話がしたい、と思います。結局、中身について何か意見を表明することは、どんな場合でも、責任、勇気、覚悟、対立を恐れない気持ち、など「出来るだけ避けたいこと」を背負うことになっちゃうからなあ、ということなのかもしれません。
だけど、言わないと伝わらないし、流されちゃうだけでね。後で文句言っても後の祭りです。
まあ、たぶん私という存在も身近な人にとっては「ウザいな~」、少し離れた人からは「エラいね~」、もっと遠い人には「こういう人もいるんだね~」みたいな「当たり障りのある人」なんだろうなあとは思います。
実際、同じような「当たり障りのある人」か、「文句ある人」しか近づいてこない気もします。
けど、当って、触って、生を実感して生きたいですよね。「故人は当たり障りのない人生を無難に送った」なんて墓碑銘はいやだなあ!
