RCサクセション 「自分の事として」の歌 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 5月2日は、忌野清志郎の命日ということで、NHKで特集番組が放映されていました。清志郎が、何故、1988年、『カバーズ』というアルバムから、社会問題や政治問題にストレートな歌を歌うようになったか、つまり原発や核や戦争を取り上げて歌うようになったか、というような視点で作られていました。

 私が、忌野清志郎、つまりは、RCサクセションにガツンと衝撃を受けたのは、高校3年生の冬(1980年)で、その前の年、タダ券を手に入れたジョニー・ルイス&チャーの武道館の前座でライブは見ていたのですが、何せ、タダの席は遠すぎて、夜中のテレビの野音のライブの映像と音楽でしびれ、すぐに『プリーズ』というアルバムを買って聞いてました、受験まっただ中だったけど。

 清志郎の作る歌詞は、その頃から、身も蓋もないようなものだったり、ダブルスミーニングだったり、わけわかんなかったり、だったのだけど、いずれにせよストレートに心に突き刺さるようなフレーズを持っていたと思います。

 だから、突然、社会的・政治的にストレートになったのではなく、清志郎は、原発の問題や戦争の問題をただ「自分の事」として歌ったのだと思います。時は、80年代後半、経済的にはバブル期に向かう時期ですが、チェルノブイリの事故(86年)や、中曽根首相による国鉄民営化から改憲策動への動きが始まった時代ですからね。
 清志郎は、繊細で敏感だから、自分のことと思ったのではないかと思います。そういう敏感さ=感受性=アーティスト的センスというのは、今も尖って何かをやろうとしている人に共通に感じます、山本太郎議員にも感じますね。

 昨夜の番組では、古くからの友人で『カバーズ』にも参加している泉谷しげるが、「文化人になっちゃうのは違うんじゃないか」と意見したようなことを話してましたが、清志郎は、たぶん、その辺はどうでもよくて、それより「感じたことをストレートに歌う」ってことを優先したんだろうな、と思います。

 回りくどく、遠回しに、オブラートにくるんで伝えた方が柔らかく伝わる、っていうのは本当でしょうか? そう言っているうちにストレートな感受性自体が自分の中でなくなっていくんじゃないの? そう思うことが多いです。
 
 いつかきちんとストレートに伝える、と思っているなら、今、そうした方がいい。そんなことを忌野清志郎の命日に感じました。