ある時期、アジアの国々、島々を旅しました。遊びだったり、ODA開発の調査だったり、司法教育の目的だったり。フィリピン、タイ、ベトナム、カンボジア、シンガポール、マレーシア、韓国、中国では、大連、ハルピン、北京、上海・・・。
インドネシアのバリ島には、なんやかや四回訪れました。最初は、91年の3月で、司法研修所の卒業試験終了後で、合格発表はバリ滞在中でした。
バリ島に魅かれる人は多いと思います。昔から世界中の旅行者やロックスターらも魅了してきた小さな島。クタやレギャンの海岸の素晴らしい夕日、ウブドの「もののけ」が潜んでいるような森、そして、世界の旅人が持ち込んでくる最新の文化をも包容してしまうような島の文化。
マニラの信号があってもなくても関係ないようなカオス、UNTAC駐留中のプノンペンの緊張感、毎晩夜店が拡がってお祭りみたいなハノイやホーチミンの夜、大きな川が凍っていて、そこを皆が歩いているハルピン、パスポートチェックは船の上で入国したマレーシアのティオマン島・・・。
アジアを旅行したのは20世紀だったから、あれからそれぞれの国、街も随分変わったのだろうなあ・・・あのプノンペンに高層ビルが立っているそうで・・・当時は、プノンペンに国際的連絡出来るFAXが一台しかなかったのになあ。
どこもかしこも、マックとスタバだらけになったらイヤだなあ・・グローバリゼーションというのは、世界を一律に「アメリカの一都市」の姿に変えていくことなのだと、かつて、長野の佐久とカリフォルニアのサンノゼを訪れたときに思いました。巨大ショッピングモール、スタバ、マック・・。
便利だけど、イヤだなあ・・・。イタリアのポンペイの遺跡にコカコーラの空き缶が捨ててあった(それは灰に埋もれていたのではないでしょう)の89年に見たときから、なんだかなあと思ったものでした。
経済侵略としてグローバリーゼションは、地元の人々の生活と産業を変質・破壊する側面があります。「便利」は「幸せ」とは別物なのかもしれません。
