子どもは、大変だと思います、学校というのは基本的に「制約」だし、未成年者は、「保護」という名で社会的にも自由が制限されてますからね。
その点、大人は自由。大人になっちゃえば自分の責任でなんでもできます。自由を思いっきり行使出来ます。
いやいや、そんなことないよ、大人の方が、いろんなシガラミがあってさ、大変なんだよ、組織の中じゃあ、言いたいことも言えないし、やりたいこともやれないし・・・
う~ん・・・・そうかな? 大人がやっていることは自分の選択、ですよね? やりたくないことも、やりたいことを実現する為の手段・努力、のはずです。少なくとも自由に向かって努力はしているはずです。
そうでなければ子どもに希望も自由も語れません。
やりたいことをやれ、やりたくないことはやめろ、でも、意義があると思ったら耐えてやれ、そして、力をつけてやりたいことを自由にやれ。大人が子どもに発すべきメッセージは、そういうことだと思います。
今の労働者はそういう状態にないんだ、「非正規」に落とし込まれ、賃金奴隷状態なんだ!というのは事実でしょう。
だったら、原則的に闘えばいいのです。妥協せずに徹底的に闘う労働組合に結集し、不当な解雇には現職復帰を求めて闘う、これが大人の自由です。世界中でそうやって自由と自己解放を追求している人たちが沢山出てきました。
ともかく、ダラダラやりたくないことを文句言いながらやり続けても、何も変わらないでしょう。
誰かがやってくれるはず、なんて思っていても、誰もやってくれないでしょう。
抵抗することはめんどくさいし、「空気」に逆らうことは何か怖いし、ってことで、やらないわけでしょうか? マゾヒスティックに「奴隷」であり続ける自由、洗脳される自由、なんていう人もいるかもしれません。
もしくは、自由に発言しないことによって守られる「素敵で大事なこと」があるのかもしれません。
もし、そうだとしたら、今、自分がやっていることが自分の選んだ自由だ、と堂々としましょう。安酒飲んで、グダグダ、傷口を舐め合ってもしょうがないですよね。そうしているうちに「やればよかったはず」の人生は終わってしまいます。
どんどん自由にやっちゃっいましょう♪自分の責任で。それが大人です。
・・・・と、自分に向かって煽ります。そして、私も、ちょっとづつ頑張ろうと思います。そして、自由でありたい皆さんと手をつなぎ、助け合い、力を合わせて生きたいですね。 今日から新年度です。
