弁護士に様々な「経験則」は必要です。必須の「武器」と言ってもいいでしょう。要は、世の中の現実の法則・手順といったところですが、それを自分の中にどこまで積み上げるかは、重要だと思います。
リアルに自分の「経験」とすることが出来るか、「地肉化」させるかが重要です。難しいことですが、やはり、「数」は重要でしょう。いわゆる「場数」をあらゆる意味で踏むしかありません。
しかし、経験をすべて、し尽くすのは無理です。当たり前のことですが。
司法修習生のとき、ある修習生が検察教官に「教官、自分は運転免許を持っていないので自動車の業務上過失致死の事件はよくわかりません。」と発言したところ、その教官はすかさず(その修習生の声音をマネしながら)「教官、自分は人を殺したことがないので殺人事件はよくわかりません。」と切り返していました。
お見事♪ と思うのと同時に、側で会話を聞いていた私は「そうか実務法律家というのは、そういう場面に、これからドンドン出くわすのだな」と思いました。
この話は、実務家が扱うことになる事柄を全て体験することが出来ない、ということと同時に、自分が体験している事実にも普遍性はない、ということだと思います。
自分の体験・経験した、と思っていることだって、「自分の」「ポジション」での「自分の特定の」経験にすぎないですからね。
じゃあ、どうしたらいいの?ってことですけど、あらゆる「機会」を貪欲に獲得する、ということでしょうかね。ともかく「母数」を上げないと。そして、豊かに想像することでしょう。想像して事実を掴む訓練の積み重ねですね。
それにしても、常に、謙虚に先入観を持たずに、事実を見る・・・これは難しいことです。
その事実の把握の仕方の間違いで、死刑になったり、長期に勾留となったりするわけですから。その点に関しては厳しい仕事だと思います、「司法」というのは。心して進みたいと思います。
