司法研修所では、一緒に学び(遊び?)、検察官となる仲間。それは、社会における不正を憎み、正義を貫きたいという気概に溢れての志だと信じています。
大きく、高い視点から、社会、そして権力内部の不正義を許さない、それが検察官でしょう。
なので、袴田事件において犯行時に着ていた服のねつ造の疑いを見逃した、なんて信じられないですよね(よね?)?
また、痴漢事件で、被告人が「確かに指先の繊維付着の鑑定をやられた」という記憶に従い、証拠の開示を要求したら、(案の定、)「被害者の衣服と一致したとは認められない」いう鑑定が「一致していないからといって、触っていないとは限らない」という科捜研の意見書が付されて出される、なんて、信じられないですよね?
それから、ひき逃げ事件で、白色自動車と被害者の自転車を敷いた証拠として自転車に白色の塗料が付着しているという写真が証拠と開示されたので塗料の同一性の鑑定がなされていないはずはないと思い、開示を要求したら「自動車の塗料とは認められなかった」との鑑定書がおずおず出される、なんてのも信じられないですよね?
戦前の治安維持法違反事件=横浜事件再審決定後の、再審公判についても「非公開」にすべしと「現代の」検察官が求める、なんてことも信じれないですよね?
もちろん、取調べ検事が「国家権力に逆らったらどうなるかわかっているのか!牢屋で反省しろ!」と恫喝して黙秘を割ろうとしたりなんていう話も信じられませんよね?
・・・だって、それじゃあ、まるで検察官の仕事は「正義を守る」ことではなくて、「ともかく一度、犯人と決めつけた奴は(間違ってても)有罪にする」ってことみたいじゃないですか!
え、ホントなの? まさかねえ・・・。 がんばれ、正義の味方、検察官!
