10代後半から、割と「文学青年」でした。自分の世界にどっぷり、視野40度位に絞って、小説の世界に逃げ込むようにして、すっぽり入り込んでいました。深夜の道路工事の警備員のバイトとバンドの練習の合間に(いや、まあ大学も行ってましたけど)手当たり次第、手に入る小説を読んでいました。安部公房、埴谷雄高、柴田翔とか、もちろん大江健三郎も。司法試験の論文試験の終わった日から公民館の受付のバイトだったのでドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み切りました。その後、村上春樹や村上龍、島田荘司、ティムオブライエンとか・・・。
その頃は、ともかく小説=フィクションの世界にどっぷり、でした。しかし、小説の世界のリアリティ、小説だからこそ迫れる現実感(リアリズム)に溢れていると思います。ある種のテレビドラマの「ありえない日常」とは違います。
川端康成の『掌の小説』の「火に行く彼女」という短編は、共通一次試験を受験したとき、試験問題として出会いました。試験中にすごく感激して、それから本屋に行って手に入れました。高橋和己の一連の作品は、当時、自分がどれくらい理解していたかわかりませんが、何故か惹き付けられていました。『悲の器』は正木典膳という刑法学者を主人公とした小説で、訴状まで克明に描かれるなど司法試験受験生を主人公にした石川達三の『青春の蹉跌』と同様、法律家(そして犯人?)の世界を舞台にしたもので、今思えば、そういう世界に興味を持つきっかけになったのかもしれません。
大岡昇平の『俘虜記』の中の「捉まるまで」における戦争のリアリズムといったら! これ以上、戦争に肉薄した表現物はあるのか、と思うもので、話題になった映画『プライベート・ライアン』の冒頭30分より、戦争に兵隊として動員された一人の人間の心理の動きという点では遥かに凌駕していたと思います。
最近こそ、なかなか「小説」を読む時間がないというか、どうしても実務的な本、言い換えれば「直接役に立ちそうな本」ばかり読みがちなのですが、やはり、作家が何かを振り絞って書いた小説は、人生の肥やしになると思います。もちろん、面白い、惹き込まれるから読むわけですけどね。
弁護士として直接、小説に関わったのは柳美里さんの『石に泳ぐ魚』を巡る名誉毀損とプライバシー権侵害についての上告審でした。柳さん側の代理人でした。力のある原作でしたが、力がありすぎる、という結果だったと思います。
