「街ベン」の修業 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 街ベン、つまりは「街の弁護士」であるということは、基本的に個人や中小企業の事件を中心的に扱うということですけど、その意味では、これしかやらないという意味での限定的な専門分野はなく、むしろ新しいタイプの事件に出会うことも多くあります。最近ですと「偽装結婚」の刑事事件とか、通知税理士としての国税局との税務調査対応などです。

 しかし、何事も常に勉強しないとダメですね。事件の手続だってどんどん変わりますし、社会の実情も変化していきます。
 初めての分野では、その分野に強い弁護士に尋ねたり、本を読むなどして勉強しながら、というところです。最近では入管手続きについて勉強しました。細かいところで新しい法改正もなされていました。

 戒能通孝先生の『法廷技術』では「法律家の修業は、このようにしてみると、決して容易なものではない。ラッセル卿はリヴァプールのセント・ジョージズ・ホールのロビーでぶらぶらしている若い法律家をつかまえて、『君らは何をしているのかね。何でもよいからやり給え』といった。『でもわれわれは何もすることがないのです』「そんなら競馬に行き給え、ともかく何かやり給え」と言ったとか。・・・人類の幸福と自由とへの確信をもたないものは、競馬を競馬としか見ることだけしか知らず、賭事に走るのがおちであろう。法廷技術家は、このような堕落の道に就かないことによってのみ完成する。」とか「『心を得よ、然らずんば何者も得ないであろう。目や耳は心にいたる通路にすぎない。腕前と知識とは心を得ない。それは一旦得た後に確保する手段である。汝の心に真実を持て。汝のいいかた、態度、行為によって目をとらえよ。汝の優美さと言葉の諧調とによって耳をならせ。心はそれによって得られるだろう。男も女もすべて心に従うものである。』これはチェスターフィールド卿が子息に与えた政治的遺訓だというが、同時に法廷技術家にとっても真理である。」などという記述があり、嘆息とともに堕落の崖の縁で滝に打たれる心境(!)です。

 確かに、これは俺はもう十分勉強も経験も積んだなあ、と思った瞬間に全ては終わってしまうなという気はします。慢心は禁物、ということで日々修業でございます。

            *写真の本は、亡父が戒能先生から頂いたもの