ヘイト(嫌悪)にはヘイト(嫌悪)を、なのか? | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 反韓、反中、反ロ的な言動は、オリンピックの最中も、いや、最中だからこそ、「醸成」されたと思います。世の中、本当に来るところまで来たな、というぐらい「戦前化」してきたと思います。

 では、どうすべきなのか。「愛国者」を批判し、「排外主義者」を非難・攻撃すべきなのか。お前は間違っている、と糾弾すれば解消するのか。
 
 あの人嫌~い、とか、個人的な感情とは別の次元、下手をすれば戦争に発展するような「嫌悪」に正当な理由というのは、そもそもあるのでしょうか?何故、国の単位で嫌悪感を持ち、国民が戦争に動員される必要があるのか? 何か納得出来る「他国を嫌悪すべき理由」は私たちの中にあるのか。

 「政府」が軍事的緊張を高める東アジアにおいて、私たちが中国や韓国の人々ともっと理解し合おう、連帯しよう、仲良くしよう、というのは、当たり前のことだと思います。
 私たちには、中国人や韓国人一般を差別し嫌悪する理由が全くありません。    
 私の中にも、皆さんの中にも、戦争に参加して他国の人々と殺し、殺し合う個人的な理由は全くないと思います。
 非正規職が4割を越えた日本、日々、労働者の暴動やストが起こっている中国、ゼネスト情勢の韓国、どこの国の人々も生活に苦しみ、闘おうとしています。国民同士ではなく、それぞれの政府や資本と、です。

 しかし、それぞれの国の政府は、内政の不満を何とか外に向けよう、よその国のせいにして憎しみをあおり、互いの国民を戦争に動員しようとしてきました。そして、今も再びしています。
 特島(竹島)や釣魚台(尖閣諸島)の領有権は、国家レベルで「戦争のネタ」にされるだけであって、そのこと自体が私たちの生活に直接、関わるわけではありません。どちらの領有であっても、近隣の漁民がどこまで入れるかは、取り決めをすれば済むことです。

 それでも、私たちは、一部の資本家、利権者の利害で「憎しみ」や「嫌悪」を操作され、ついついナショナリズム・排外意識に流されがちです。
 しかし、その結果、今、排外主義に導かれてしまっている人たちを単に非難・批判するのではなく、仲間として再獲得する努力が必要でしょう。嫌悪に嫌悪で応えるのではなく、その憎悪や嫌悪には「理由」がないんだ、それは、あなた自身、本来の感情ではないのだ、ということを伝え続けることが必要なのではないか、と思います。
 憎悪や怒りを本来、仲間になる人々に向けるのではなく、そのように仕向けている政府・資本に対し正しくフォーカスし、その「排外主義」操作の仕組みを暴露し、憎悪に理由がないことを明らかにしましょう。