「大人」の選択 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 訴訟をするということは、原告側ならば、訴状や準備書面を書いて、証拠を提出し、証人尋問をする、ということですが、それを遂行するというのは、弁護士としては、いわば「当たり前」のこと。もちろん、それ自体、法的な組み立ての検討や、何よりも事実関係の把握と立証という課題に対して、どう取組むかということは一筋縄なことではありません。

 しかし、より重要なことは、そもそも、提訴が手段として適切か、意味があるか、ということ。要は、「戦略・戦術」の選択が大きなポイントです。この点で、キリキリ、ジワジワと悩み、考えます。ギリギリまで考え、着手するに当たって、また、走り始めた後のあらゆるタイミングで悩みます。

 どっちを選ぶか。
 調停にするか、訴訟にするか。それとも、何とか任意の協議で終わらせるべきか。
 判決にするか、和解にするか。和解だとして、どこまで条件を上げ続けるか、譲歩を見せるか。
 そして、刑事事件も、公判前整理手続を拒否するか、いや、むしろ求めるか。

 あくまでも、どういう選択が依頼者のためになるか、というのが基準です。「ために」というのも、弁護士から見てためになる方法か、依頼者が納得することを重視するか。もちろん、両者が合致するまで打ち合わせをすることが肝要ですね。

 どんな仕事でも同じだと思います。いや、仕事でなくても生活でも。あらゆる局面、時点で、選択と決断が迫られるのが「大人」。弁護士の仕事も相手方がある闘争的なもの(いや、ここでも「闘争的」にするか「協調的」に進めるかの選択があります。)ですが、誰だって、相手がいます。お母さんは子どもを相手にしたり、学校の先生を相手にしたり・・。

 迷って、胃が痛くなって、考え抜いて(そして、顔を上げて深呼吸して)、いろんなことを決めていきましょう。 
           それが、生きているということですよね♪