昨日、2年に一度の日弁連の会長選挙があり、村越進氏が新会長に選任されました。司法改革反対の武内候補4169票、司法改革を容認・推進してきた執行部路線の継承者=村越氏11672票、投票率は、46.63%です。半数以上の弁護士は投票すらしていません。
日本のような強固な弁護士自治は世界でも珍しいものと言われています。日本の弁護士は全て弁護士会に加入しており、日本弁護士連合会の会員ではない弁護士はいません。弁護士資格を認めるのも、失わせるのも弁護士会であり裁判所ではありません(不服の申立ては別ですが)。
何故、そのようになったかといえば、国家権力の不当な介入を防ぐためであり、これは戦後、1949年の弁護士法で獲得したものです。
戦前は、司法大臣の監督下にあり、邪魔な弁護士は国家権力により懲戒などに追い込まれてしまった、という苦い歴史があるのです。
私は、15年くらい弁護士会の自治に関わってきました。常議員といって、それぞれの地方の弁護士会(単位会といいます、私の所属は第二東京弁護士会)月一回行われる議会の議員になったり、副会長(もう、10年前ですけど)になったり、様々な形で選挙にいろいろ関わったりしてきました。もっとも、政府、そして、弁護士会も進めてきた司法改革路線に反対する活動だったので、なかなかうまくはいきませんでした。
そもそも恐慌の時代で育ち盛りの子どもも居るのに、そういう非経済的な活動を熱心に取り組んでいると、「好きなんですか」「人がいいなあ」みたいに言われることもあるし、もっと斜に構えた方面からは、「もっとやり方があるのでは」「どうせ変わらない」と言った無力感が伝わってきます。
既に、半数以上の弁護士は、自分たちの意思表示の機会も行使しないわけですが、自治が失われれば、弁護士のアイデンティティも失われます。
別に、選挙などが、好きなわけでも余裕があるわけでもなく「司法改革」という弁護士自治に対するあからさまな攻撃を受けているから立ち向かってきただけで、それを知ってか、知らぬフリかして、弁護士の日常業務だけに専念するスタンスの弁護士が増えているのは、その攻撃の深化を実感します。
余裕がないのは同じです。余裕がなくなりつつあるから闘うのです。完全に解体されてからでは遅い。
父は、戦前、正業についたらどうだ、と言われていた弁護士の窮境を生前、語っていました。
そのような時代にならないよう自分たちの問題に取り組まなければと思います。
それが、子どもたちに時代をバトンタッチするための責任だと思います。
