「ビジネス書」的 how toの世界  | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 昨年は、それまであまり読んだことのなかった「ビジネス書」を意図的に、結構、読みました。必要性を感じたし、そして、勉強になったと思います。それで、気づいたのは、ビジネス書は「ハウツー本」と言われるだけあって、「どうやるか」の話がテーマだということです。そりゃそうだろっという話なのですが、「何をするか」はそれぞれ皆さん決めて下さいね、ということですよね。
 それ自体、ビジネス書の「組み立て」として、これまた当然なのですが、「何をするか、何をすべきか」という肝心な部分というのは、ビジネス書だけではなく、この世の中、あまりにも議論が少ないんじゃないの?とふと思った次第。

 床屋談義としての政治論でもいいと思うのですが、また、政治ではなくて、自分の目標等でもいいのですが、「あり方」とか「組織論」とか「プロセス」とか「マインドの持ち方」とかではない、「中身」それ自体の話をする場というのは、基本的にない、もしくは、奪われているのでは?ということです。
 
 一方で、政府や大資本はその「中身」の部分でやりたい放題、言いたい放題。私たちの思惑がどうであろうと、やりたい戦争に向けて準備する、原発は再稼働して輸出する、労働法制はどんどん緩くする、税金は庶民からむしり取る、教科書は都合良く書き換える等々。それに追随してNHKも「政府御用達のメディア」という姿を露わにしてきています。

 それでいいのおっ? こっちも、がんがん言いたいこと言ったらいいんじゃないの?いやなことは拒否した方がいいんじゃないの?戦争とか原発のことまで「政治」ってカテゴライズに整理されて話題にしないって変じゃね?
・・と思うのですが。「空気を読まない」政治的話題は、「引かれ」がちなのか、それとも、奥ゆかしいのか、絶望してどうでもいいのか、ともかく、日々の出来事と切り離されているように見えます。たいていは、私たちの生活にとって大事なことが「政治」なのにね。

「俺は構わないんだけど、周りが・・・」という時は、たいてい話している本人が、実際は、「構わなくない」と本心では思っている、という説もありますが、周りの配慮も必要ですけど、自分の意見も言わないうちは周りの意見もわかりません。
「どうやるか=how to」の世界に閉じこもらずに、「何をやるか=what to do」の議論をする機会に、この都知事選もなるといいのに、と思います。