私たちの記憶  情報化社会への対抗として | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 95年にWindows95が現れるまで、パソコンがそれほど親しい存在ではなかったと思います。さらに、インターネットも、当初は、今ほどアクセス可能なものではありませんでした。
 それまでは、何かを調べるときは、人に尋ねるなら手紙を書いたり電話をかけたりしました。または、大きな図書館に行きました。関係のありそうな本を何とか探し当てました。貸し出しが出来ない本の記述は、ノートに書き写しました。

 『ビッグの終焉』(ニコ・メレ著)という本で以下のような引用があります。
 「コンピューターに過去を記憶してもらうと、コンピューターに記憶されている過去に関心が集中する。そうして、簡単に検索できる過去を大切にするようになる。」(注 ゴードン・ベルの発言として)

 何か怖いですよね。よく私が引用する『1984年』でも主人公は歴史をどんどん改竄する政府の部署「真理省」に務めています。記録と記憶を上塗りしていくのです。実際、日本の教科書についても、今般、政府の意見を書かせるという検定基準に、こそっと変えられようとしています(朝日1/18)。フィクショナルな現実です。政府は歴史と記憶の改竄を目論んでいるのだと思います。

 都知事選についても、各候補者が「今、何を言っているか」は、大事です。しかし、信頼性を検証するためには、「過去に何を言って、その後、どうしたか」という点の記録と記憶に基づき判断することが必要だと思います。
 
 誰しも、一貫するというのは困難でしょう。その場合は、何故、前とは違うことを言いだしたのか、という点をはっきりさせてもらわないと信頼は出来ません。そっちの方が当選しそうだから、世の中の態勢がそう向かっているから、でもなんでも、その理由を明確にしてもらわないと信頼には至らないでしょう。
   私たちの「記憶」と照らしあせて、検証し、判断しましょう。