何事も、真面目に取り組み、真摯に対応するからこそ、面白いのだと思います。10代の半ばから20歳くらいまでは、音楽にそういう気持ちで取り組んでいた、という自覚はあります。他に自分の支えがなかったというか・・。高3のときに急に焦って、絶対「現役」で大学に行きたいと思ったのも、その方がバンドをやりやすいと思ったからです。
な~んて、あらゆる意味で「遊び」は必要ですけどね。ゆる~い時間というか、弛緩した時間という意味で。
でも、夢中になると誰でも、真面目で真摯になってしまう、つまり、一所懸命になってしまうのだと思います。まあ、そういうことが多い人生がいいかな、と思います。
ただ、真面目に、真摯に取り組むと辛いことも多くなります。きついし、厳しいし、挫折することがほとんどです。
逃げずに真摯に対応するというのも、言うは易し、行うは難し。右か左か、進むかやめるか。その選択、決断が迫られる場面で選択し、決断に真面目に立ち向かうことはどうしようもなくキツイ場面があります。
司法試験の勉強をしようと思ったのは、自分には音楽の才能はないのかな、と見切りをつけたからですが、それはそれでキツかった。才能がないなら勉強するしかないな、と思って、勉強を真面目にするようになりました。
なんでもかんでも、前向きにばかり決断も出来ません。躊躇し、迷い、たじろき、怯みます。人間そう言うもんだよ、と開き直る気にもなかなかならないものです。
そう言う場面に何度か出くわします。厳しいです。だけど、あえていえば、そういう場面が多い人生が豊かなことなのだろうとは思います。
常に、主体としての選択と決断が問われている、それが、生きるということなのでしょうね。
