1989年4月、司法修習生43期の修習が始まりました。以下は、極めて個人的な体験も含めての当時の司法修習の過ごし方です。
まず、前期は、講演をサボって(当時は、湯島の旧岩崎邸の跡地にありました。)上野動物園に行ったりして、自宅起案日には音楽スタジオで練習をして、最後、松戸寮の寮祭でバンドで盛り上げました。その後、教官に六本木に連れてってもらったりもしましたねえ。
前期終了後は、神戸の実務修習へ。神戸では、ホテルの「ディスコ」(「クラブ」ではなく!)貸し切りでパーティー開催。見学で酒蔵に行ったり、伊丹空港に行ったり、その都度、合コン。修習旅行で城之崎温泉に行き、皆で、ストリップ小屋へ。
実務修習では「万引き捜査」修習や、「イカサマ花札賭博」修習、「飲酒テスト」修習などもやりました。
ローリングストーンズの初来日は翌年1990年2月。神戸で弁護修習中でしたが、なんと修習先の先生が、ストーンズのアリーナ席のチケットを取ってくれた上、「行ってこい」ってことで東京までストーンズ出張(?)。そのまま、東京地裁の修習中の女子の所に遊びに行ったところ、そこの部の裁判官が「法廷見ていけば?」という軽いノリで、そのまま法廷の修習生席へ。神戸修習なのに東京地裁で修習したのは私だけだったでしょう。
そして、後期。卒業試験の合間に、湾岸戦争反対の声明作りやアンケート集め、講演会開催などの活動を開始。
当時、行われていた「修習生大会」のトリをとって(演歌風のギターで伴奏しつつ修習の非政治化に対する問題提起、みたいな「語り」を2人組で)、卒業試験(二回試験)では、刑事裁判科目で「無罪」起案を書いて、試験結果は、バリ島から確認。
・・・なんだか要約すると遊んでばかりいる感じですけど、まあ、それなりに厳しい面もあり、司法試験の勉強から実務への橋渡しの様々な勉強が出来たのも事実です。多くの仲間と出会い、様々な考え方にも接することが出来ました。このとき、一緒だった仲間が弁護士になり、検察官になり、そして、裁判官になっているわけです。当時は、約500人、「同期」という一体感は今でも感じます。
今は、合格者は約2000人。上記「法曹三者」に加え、「法曹有資格者」にまで、仕事をさせてもいいことにしちゃおう、というのが政府とロースクール利権派の思惑。
法曹有資格者=弁護士ー自治、です。
仲間に恥じないようやるべきことをやっていきたいと思います。
