弁護士に必要な「想像力」 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 あけましておめでとうございます。今年も、いろいろがんばっていきたいと思います。
 さて、正月早々、ぼちぼちですが、色々、考え始めています。考え、想像をしています。あの事件の真相はどうだったのか、とかです。いろいろ想像を巡らせます。

 例えば、「監禁(勾留)される」とは、どういう感じか。弁護士にしか会えないとはどういう感じか。そのような状況で刑事や検事に「どうせ弁護士は何もわかってないんだ」「国家権力に逆らうとどうなると思っているんだ」などと恫喝され自白を迫られたら、どう感じるか。

 さらに、実際どうだったのか。何が起こったのか。初夏の夕暮れの大通りの交差点で、誰かが本当に「ひき逃げ」をしたのか。被害者の子どもは、夕暮れに自宅と反対の方向にどこに向かって急いでいたのか。「目撃者を探してます」の看板を出している事故の時間と公訴事実では何故「1分」違うのか。

 裁判は、2月初旬に始まりますが、現時点で証拠は検事から全く開示されていません(何回も督促はしましたが)。「可視化」など全く実現するつもりのない警察と検察の現場では、取り調べも、彼らが持っている証拠も開示されません。徹底的な秘密主義です。

 そんな国家機関を信用することは出来ないでしょう。何故、自分たちの得た「情報」や証拠を開示しないのでしょう?何故、自分たちの利益にだけ使用するのでしょうか?納得出来る理由なんてありません。「彼ら」は「彼ら」の利益、彼らの仕事の為だけに、そうしているのです。
  真実発見ではなく、被疑者・被告人を有罪とすることが目的なのです。

 有罪率99.9%という裁判の実情の下、木谷明元裁判官は、裁判官であった当時、30件以上の無罪判決を下し、すべて確定させています。
 そして、「刑事裁判官というのは被告人が言っていることを、ちゃんと聞いて理解して、そしてその上で判断しなければダメだということですね。聞く耳を持たない人、調べる気がない人。これは、もう全然話になりません。そういう人は、刑事裁判官をやる資格がないと思っています。被告人の話を虚心坦懐によく聞いて、本当はこの人が言っていることが真実なのではないかという目で証拠を再検討して、疑問があれば徹底的に調べる。その上で下す判断でなければ被告人は絶対に納得しません。それだけでなく、間違った判断をしてしまいます。間違って有罪判決をするくらい恐ろしいことはないので、そういうことは絶対にあってはならないと思いますね。
 『間違って真犯人を取り逃がしていいのか』という反論がありますけど、それはある程度やむをえないと割りきらなければ、刑事裁判はできません。取り逃がす不正義と冤罪者を処罰する不正義とでは、全然質が違うのです。弁護士になって、ますますその思いを強めています。」『無罪を見抜く』(木谷明)と述べています。

 具体的に、現実的に想像する力が必要なんだな、と思います。「妄想」や「空想」とは違う、「現実的な想像力」です。「現実を現実的に想像する」力です。思い込みや先入観から解放された想像力が、現実を見るということだと思います。

 この「想像力」は、弁護士にだけ必要なことではなく、現在を生きる誰にも必要なことだと思います。安倍政権がやろうとしていることは何か、世界はどこへ向かっているのか。

              私たちは、何をすべきなのか?

 皆が、真剣に想像し、自分の想像を語り合い、議論し、見極め、精度を高めていく、もちろん、それは、客観的事実=証拠に基づいて。「秘密主義」の国家は、それ自体、打倒の対象です。これが、私の「想像」です。違いますか?

               A happy new year!