「人質司法」と呼ばれる日本の現状から、「取り調べの可視化」つまりは、警察官や検察官の密室での取り調べを録画・録音により検証できるようにしようという議論があるのですが、現場の警察官や検事は全くそのつもりはありません。
そんなもの録音でもされたら、ウソや脅し、さらには、弁護士に対する誹謗中傷を用いて自白を得ることが出来なくなってしまうからです。実際、今般、被疑者は、「国家権力に逆らったらどうなるかわかっているのか」という言葉が忘れられないと言っています。可視化されたら、そんなことを取調官は言えなくなってしまうのです。権力は民衆に記録されることを最もいやがるのです。
そもそも、現時点でも、任意の取り調べについては、取り調べられる人が録音することを法的に禁じられてはいません。
にもかかわらず、警察官や検事は、徹底的にそれを忌避し、録音をやめさせます。可視化と全く相反する現実です。すでに、そのような録音を認めない時点で「任意」とはいえないわけですが、権力は、「可視化」すなわち、民衆側に情報を持たれることを忌み嫌うのです。要は、隠れて酷いことができなくなってしまうから。
秘密保護法が施行されれば、いわば、この警察官・検察官と被疑者の関係が政府と私たち全体の関係にまで拡大されるわけです。
権力は情報を独占し、都合のよい情報だけマスコミに流すでしょう。そして、それは真実が否かの検証すら出来ません。
権力が「秘密=情報」を独占する、ということは、私たちに対し何かを強制しやすくする方法だということです。許してはいけません。
